一週間くらい前、左の耳たぶと“入り口”付近がただれて汁のようなものが出ているのに気付いた。とても痒い。しかし、そのうち治るだろう、と放置していた。でも、治らずに痒さは増すばかり。さすがにもう我慢できなくなって、皮膚科? 耳鼻科? と悩んで数日、結局、近所の耳鼻科に行った。
医者は一瞥して、いじりすぎ、と言った。
「薬を塗っておきますけど、いじらないで。そうすれば治りますから。」
「その薬はいただけないのでしょうか?」
「必要ないでしょう。」
「‥‥。」
釈然としない気持ちで、帰路、フラリと本屋に入った。
棚を眺めて店内を巡回パトロールしていると、ある背表紙が目に飛び込んできた。帯の白抜き角ゴシック体が「建築は世界だ!」と挑発しているのである。岡啓輔『バベる!自力でビルを建てる男』という本体の背表紙の方はあまり目立っていない。筑摩書房、2200円。
なんでも、三田の方で変なビルをセルフビルドで作っているヤツがいるそうだ、という話は4、5年前に聞いたことがある。それか?
それだった。
2200円は、貧乏ジイさんにはきつい。しかし、今日は薬代が浮いている。ためらいながら、えいっ! と買った。読むと、ムッチャ面白かった。これは現場を見物して、ご当人の風貌にまみえなければ、と思ったが、外はすでに暗くなっていた。
次の日、都営地下鉄三田駅に降り立ったが、どの出口かが分からない。当てずっぽうに外に出ると、どこにいるのか全くわからない。「港区」が苦手だし、「三田」と言えば「慶應」、腰が引けてしまっている。やむを得ず、傍の知らないヒトに、ここはどこですか? と尋ねなければならなかった。
あとはもう、迷いに迷ってしまった。ある坂を目指したのだが、その坂のありかがわからなかった。でも、見つけたぞ。出会い頭、「蟻鱒鳶ル」から、意外におとなしい印象を受けた。
もちろん、最上階には今も鉄筋が何本もニョキニョキ伸びていて、そのサビが壁にも流れていたりするから、「砦」みたいな感じもする。しかし、壁に施されたレリーフ状の凸凹の精度は高い。本に出てきた、型枠の一部にビニールを使った効果も、なるほど、と感じさせられた。柔らかな膨らみが確認できる。
入り口には結界が設けられていて、人の気配がない。「岡さん」は不在のようだった。
歩道であれこれ観察していると、乳母車を押した美人の外人の若奥様が立ち止まって、いま森美術館でやっている展覧会にこれも取り上げられているわよ、と英語で教えてくれた。私は英語が苦手、日本語も怪しい。なので、カンで。きっとそう言ったに違いない。お礼を日本語で述べた。森美術館には行けないだろうな。
しばらくすると、今度は自転車の若い男がスッと自転車をとめて、降りてきて、私と並んで一緒に観察を始めた。日本人のようなので、お近くですか? と日本語で聞いてみた。はい、と日本語が返ってきた。なんでも、近くに住んでいて映像関係の仕事をしているらしい。「岡さん」が一人で作り続けているのを時々見てきた、と言った。ちょっと前に開かれた高山建築学校の学校案内の会に参加して、行ってみようかな、と思っているとも言った。来ていたのはみんな若い人たちで、ボクなんか場違いみたいで、どうなんですかね? と言うので、年齢は全然関係ないですよ、と応じた。彼も件の本を読んだらしい。今、色々大変みたいですね、と言った。
本には、再開発でここからの立ち退きを迫られていることが最後に書かれていた。いかにも厄介なことに巻き込まれて、同情を禁じ得ない。
本にはまた、私にとって驚くべきことが書かれていた。それは、昔、雑誌の特集に取り上げられていて、その時とても興味深く感じた「岡画郎」(「画廊」ではなく「画郎」だということに注意)、その当事者だった「画郎主」=「岡」が「岡啓輔」その人だということ。それから、建築家・石山修武に“私淑”していること。また、「高山建築学校」との深い関係。など。
こうして、それまで全く知らなかったヒトと、目の前の「蟻鱒鳶ル」を介して、話ができている。
様々な感慨とともに、耳の痒さを忘れて、独力で建築中の「蟻鱒鳶ル」をさらに見ていた。
外観と中に入った感じは全く違うし、扉や窓が入って、仕上げがなされ、家具などが入って、生活が始まると、また「世界」が違ってくる。いつかまた、その「世界」を体感してみたい。
次の日、仕事場で、なんとなくつけたラジオ。NHK第一の「すっぴん木曜日」のゲストに、この「岡さん」が登場していたのには驚いた。誠実そうな声だった。私も、いつか会ってみたい。
(2018年7月9日・東京にて)
●バベる! (単行本)
筑摩書房
2、200円(本体)