今回の展示では、場を作り出す、というより、8点ずつひとまとまりの作品、という見え方になっている。もちろん対になって一つの作品、という場合もあるし、石膏で作られた『原形質』(2012年)越しに1981年の『untitled』や1992年の『untitled』が一体に見えてくるような場合もある。あるが、やはり8点それぞれ一つずつの彫刻、と見える。
とは言え、2019年作の『霧と鉄と山—Ⅰ』。床に置かれた鉄とガラスによる巨大な作品。これと、ガラスで仕切られた“ぐるり”の壁に一定の間隔で何枚も下げられた縦長の同じ寸法の樹脂製の何枚もの波板、これらの関係についてはビミョーであった。
リストではこれらは一つの作品とされている。が、壁にずらーっと連なるガラス板の仕切りのせいか、床の作品と壁の波板群、これらを一体の作品として感じ取るのは、なかなか難しい。波板はごくわずかに手前方向に湾曲させられており、そのせいか波板の一枚一枚それぞれが「彫刻」を感じさせる。私は、一体に見えなくてもいいではないか、と楽しんだ。
2019年作の『霧と鉄と山-Ⅱ』も楽しんだ。鉄板を溶断して作ったたくさんの「丸」が相互に溶接されて、大きなお椀を伏せたような、ドームのような、イグルーのような、つまり応力に強い形状、青木氏の作品に度々登場する形状だが、その形状に二本の“ツノ”、いや“ラッパ”、“吹き出し”、どう呼んでもしっくりこないが、が生えている。とても強い形状だ。不思議だし。「丸」のところどころには手製らしき色ガラスがはめ込まれていてアクセントを成しているが、注目すべきは、丸と丸との間の隙間。え、ここ繋がなくて大丈夫? というような見え方を生じている。もちろん鉄なので「点」での溶接で形状を維持・安定させることは可能だ。可能だが、やはりびっくりさせられドキドキする。この作品のためのドローイングやドライポイントの展示もあって、これも実に魅力的である。堪能ということをした。
スケッチブックの展示も嬉しい。その中にこんな文もメモされていたので書き写してきた。
太陽が雲の下へ、すると雲は青くなり、空は白く光る/そして雲の少し上が、赤く桃色になるけれど それは一瞬に/暗く、青く変わり、次に後ろの青白い、灰色の雲といっしょに/なる。太陽を置いてきているから。夜にむかって/飛んでいるから。とても早い、/又、赤い桃色が雲のうえに その下の雲のつのは影をます、/赤桃色の上は黄色だ、/飛行機は、小さなグッピーのようにみえ、どんどんうしろへとんでいった/赤はもっと赤く黄色く、雲が暗なった分、輝いている、
10/30
6時すぎに出てみると 東の方が少し少しだけくもりのように/灰白色のところあり、それからだんだん水の色が変ってきたりする/山は山だと 神聖な土地だと思った。/死んだ人のいる場所というのでもなく、それは向う側なのだ。/なにもかも含めた上での向こう側/私がつくろうとしているのは?/雲がすぐそこにある
制作の合間のおそらくはふとしたひと時の空に向ける眼差し。こうした繊細さが「鉄の女」を支えている。会場で配布されていた用紙には、こんな言葉も引用されていた。
鉄は透明な金属である。外から見ると錆びたり青灰色だったりするが、火を使って溶断していくと透明な内部が現われる。鉄は私にとって木の枝であり、骨であり、氷である。そしていつも内部に透明な光を持っている。
(2020年2月6日、東京にて)
「青木野枝 霧と鉄と山と」
●会期:2019年12月14日(土曜日)から2020年3月1日(日曜日)
●休館日:月曜日(2月24日をのぞく)、2月12日(水曜日)、2月25日(火曜日)
●午前10時から午後5時まで(入場は午後4半まで)
●観覧料:一般700円(560)、大学生・高校生350円(280)、中学生・小学生150円(120)
●会場:府中美術館
●公式HP:
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/index.html