そういうわけで、も一回、国立新美術館のジャコメッティ展に行ってきた。会期終了間際の週日午前。
まず、展示されていた「キューブ」に絵は刻み込まれていなかった。絵に気付かなかったのは当然のことだったのである。
手元のジョルジュ・ディディ=ユベルマン『キューブと顔』(石井直志訳、パルコ出版、1995年)の163ページと167ページとには、それぞれ「キューブ」に刻み込まれた線画を示す部分写真を図版にして掲載している。それは鮮明な図版ではないが、石膏ではなくブロンズのように見える。
ユベルマンはこの本の冒頭で、「キューブ」は1934年のはじめに石膏で制作され、1954年から1962年にかけてブロンズ鋳造された、と書いていて、その石膏の状態の「キューブ」の写真図版も二枚掲載している。(こうして始まるユベルマンのこの本はとても面白いが、深入りしない。)
加えてユベルマンは次のように書いている。
「一九三九年代末か一九四〇年代中頃のある日、ジャコメッティは突然、」「作品に自身の刻印を残し、決定的な自身の痕跡を刻み、あるいは作品を決定的な自身の痕跡そのものにしようとした」。
具体的にはこうだ。
「多面体の上部の面の一つ」に「ジャコメッティは深く、切り込むように、顔を線描している」。(160ページ)
「さらに、自画像の描かれた面に隣接する面にもデッサンが存在していて、それは多面体そのものを描いている。」(168ページ)
ということは、「キューブ」は1934年に石膏で制作され(今回の展示のキャプションには「1934/35年」とあった)、1954年から1962年のいずれかの時期にブロンズに鋳造されたのであれば、1939年末か1940年中頃に石膏作品に書き込まれた(はず)の線画はブロンズ鋳造に残っているはず。展示作品にはそれがなかった。あれま、なぜか? と詮索したくなるのは悪いクセ。
で、帰宅して手元の資料をあれこれひっくり返してみると、どうやらマーグ美術財団の「キューブ」はツルツルで、チューリッヒのジャコメッティ財団の「キューブ」には線画があるらしいことまでは分かってきた。それは複数の図版で確認できる。では、「キューブ」をブロンズ鋳造した時期や数、所蔵先について記載のある資料が手元にあるか、といえば、ない。調べるスベもない。なんかスッキリしないけど。
でも、もし、「キューブ」に線画があったら、フロッタージュしたい、という欲望を抑えるのに苦労しただろう。「自称・美術家のじじい、ジャコメッティ作品をフロッタージュしようとして逮捕」なんて新聞記事にならなくてよかった。マネする人が出るからね。
とはいえ、二度目に訪れることができてとてもよかった。やはり作品にはとても感動させられた。本当は、その感動の内実を書かねばならないのだけど、文才がなさ過ぎてムリ。ある種の“感触”を胸にとどめておくのだけで精一杯。
ここで、苦言。
彫刻作品をアクリルケースで“保護”するのはまだしも、複数の彫刻作品を大きな台に並べてしまうセンスが理解できない。理由は簡単。彫刻作品は一点ずつ横からも背後からも鑑賞できるようにするべきだから。
また、ジャコメッティの彫刻に“正面性”のようなものがあるのは否定できないにしても、台上に横一列に並べたり、背後が真っ暗になってしまってもよいと言うような照明を許容したり、背後に回り込めないように作品を設営したりなど、いかがなものだろうか。言い換えれば、照明や設営で観客を誘導しすぎているのではないか。それは鑑賞者の受容の中身を押しつけることに繋がってさえいるのではないか。
以上のような“問題”にもめげず、初期作品はじめ、なるほど、さすがジャコメッティ、と改めて心底感じ入ったのだった。美術館側の“演出”が鼻につくのも結局苦にならなかったのはジャコメッティの作品の力ゆえであろう。満足して帰路について「キューブ」の線画を調べ始めたのだった。
残暑御見舞!
2017年8月23日 東京にて