「近代」日本を作り上げてきた鉄道網、そのレールを支える無数の枕木。また、石油にその座を明け渡すまで各種産業のエネルギー源だった石炭、その採掘のための炭鉱の坑道の枕木。防腐剤を塗り込められた繊維である枕木はいつまでも“死ぬ”ことができない。そうした一本一本の枕木は、あたかも、朝鮮半島から連れてこられて重労働に従事させられた人々やこの国を底辺で支えてきた人々、さらに「近代」日本の犠牲になったアジアの人々の姿に繋がっていくようでもある。つまり、高山さんの作品はそうした人々への「レクイエム」なのだ。
最初期に「地下動物園」と名付けられていた高山さんの作品は、今、台風一過の日の光の中へと姿を現わして立ち上がり、まるで咆哮しているように私には見えた。
モダンな建物の中に入ってみると、高山さんのドローイング作品やマケット群と触れ合うことができた。この「スペース」に多くの作品を配して全体を構成し、実際の設営のために、この何年かの間、高山さんがどれほど集中してきたか、これらのドローイング群やマケット群がそのことを伝えてくる。
田中泯さんは、この「スペース」に設置された高山さんの作品の中でも最も大規模な作品で踊った。
時折雲から顔を出す太陽が、夕方の横殴りの光をまるでスポットライトのように泯さんを照らして、踊りに相乗していく。冷え始めた空気も、おさまらない強い風も、左右に激しくなびく樹々も、飛び去っていく雲も、泯さんと一緒に踊っている。
最終盤、泯さんは両方の腕を上方に高く伸ばして、長い間、空をあおいだ。私もつられてあおいだら、澄み切った真っ青な空があった。「スペース空」と名付けられたここの空。その青さが「スペース」のはじまりを祝福しているかのようでもあった。
* 枕木、と書いているが、実は高山さんの指示に従った寸法で製材された木材に高山さん自身が防腐処置などの手を加えたものである。枕木との出会いなどについては気仙沼・リアスアーク美術館『高山登展図録』(2000年)はじめ、各種文献に詳しい。
2018年10月17日、東京にて