とはいえ、線があろうがなかろうが、塗り残されていようが塗ってあろうが、線が赤かろうが黒かろうが、細かろうが太かろうが、そんなことは本当はどうでもよい。というのも、展示スペースを次のスペースへと移動するときなど、遠く離れたところの小さなサイズの絵が極めて明快に眼に飛び込んできて、グイと引き寄せられることを会場で体感できる。熊谷守一というひとの並外れた力量とその達成を再認識させられるわけだ。タンノウということができる。
一方、「2、」のセクションにあった『小牛』や、『漆樹紅葉』(1942年)のような“探索中”の様子がまざまざと現れている作品たちにも私は魅了された。
また、2点の『少女』(1963年)へとまとまっていくスケッチ(1958〜59年)の“一筆描き”にも魅了された。線を順に辿っていくと熊谷の自在な(自在すぎる)意識の流れのようなものが体感できる。ロダンやマチス、クレー、ミロなどの一筆描きのデッサンが想起され、負けていない。(今、須田国太郎の能の舞台を描いたスケッチも思い出している。あれも素晴らしい)。この『少女』をめぐる展示は、こうした現場でのスケッチがある日蘇って油絵になっていく過程を直に見ているようで、じつに興味深かった。トレーシング・ペーパーを使っていたことも。
ああ、長くなってしまっている。でも、もうすこし。
1月13日午後、美術館講堂で行なわれた岡崎乾二郎氏の講演に行ってきた。会場は補助椅子が出るほどの超満員。とても面白かった。
熊谷と漱石との同時代性の話(虹が描き込まれた木の絵は『草枕』の一場面ではないか、との岡崎氏の考えまでも)、この同時代性との関連で、熊谷の絵によく似たミルトン・エイブリー(?)などの絵の紹介(これもゼンゼン知らなかったぞ! よく調べるなあ)、熊谷とマチスとの近似を言うならポップアートやエリザベス・マーレーのことも、と述べ、岡崎氏とリチャード・タトルとのあいだのエピソードも紹介され、ポリアコフ、ド・スタール、ニコルソン、アルプ、山口長男、坂本繁二郎等が次々に登場した。岸田劉生追悼のためではないかと岡崎氏が言う劉生初期の様式による熊谷の「切り通し」の絵も紹介されたし、同様『草人』(1955年)に関して原勝四郎、黒田清輝との関連で“熊谷のトンチ”について(こうやるんだったらこうやった方がいいんじゃないの? というようなことを熊谷はよくやる、という岡崎説)、熊谷作のムッソリーニの肖像画(1934年作)(ゼンゼン知らなかった!)の紹介もあった。岡崎氏は、今回展示されていないけどこんなにいい絵があります、といくつもの作品を紹介しながら「60歳を過ぎて作品を展開できる人は教養ある人だけ」とサラリと述べた。ならば、私はもうだめだな(でも、面白いから制作はやめない)。
『櫻』の話も『ヤキバノカエリ』の話もあったし(ここでは繰り返さない)、『稚魚』(1958年)や『あかんぼを』(1965年)をめぐる話もあった。
会場パネル、「謎」⑤では、『稚魚』が「動く絵」として解説されていて、またこの展覧会の公式サイトの「作品解説」では“暗い色の魚は水の深い所にいることを現している”と述べられている。が、岡崎の解釈はこうだ。「暗い色の魚は死んで浮かんでいると見た時、青い領域は水面になる、赤い魚を見ると同じ青が水の中になる」(確かにこれは絵の面白さの大事なひとつだ。エッシャーの『三つの世界』などはよく例示される)。『あかんぼを』(1965年)の赤ちゃんはのけぞってこっち(絵を描いている熊谷、絵を見ている観客)を見ている、という“岡崎説”の紹介もあった(『ヤキバノカエリ』との関連もあっただろう)。
岡崎氏は面白いなあ。つづく→