「ああいう絵」とか“パターン”とか“あんな風”と書いたが、それは具体的に言うと、例えば動物を描くのなら毛筋の一本一本を丁寧に、建物を描くなら瓦の一枚一枚や柱の木目を丁寧に、というような感じ。結果、形状が多少歪んでしまっても気にしない、というか。当時の私には、ああいう絵の良さが分からなかった。
なのに、いつ頃からか、その“良さ”というか、“面白さ”というか、そういうものを理解できるようになっていたのである。いつ、何がきっかけだったか、具体的には思い出せないが、やはり予備校や大学などでの絵の「学習」を通じてのことだったのではないだろうか。
動物には毛がたくさん生えているし、建物には屋根に瓦がたくさん並んでいて柱や梁や床板には木目や節がある。それに着目すれば、描かずにいられない気持ちも理解できるわけだ。めんどくさくても描き切るぞ、と頑張る気持ちも理解できる。そして頑張れば、出来上がってくる形状が多少歪んでしまっても画面が“迫力”を持って立ち上がってくる。それは作者には面白いはずだ。だから絵をみる私(たち)も面白いのだ。
しかし、あくまでも、毛に着目した場合や瓦の並びや柱や梁や床板の木目に着目した場合である。動物には毛だけがあるのではないし、建物だって瓦や木目だけがあるのではない。そんなことは当たり前のことだ。
何をどう描いてもいいのだ。
いいはずなのに、ここに並んでいる絵からは、何か強い抑圧のようなものを感じさせられる。大人の価値観の反映のようなものが見て取れるのだ。「教育」の成果、というか。
本当に「児童」が自分から描いたの? 描かされたの?
戦後すぐの時期に「児童美術教育」というものが隆盛したことは私も知っている。戦前には山本鼎の「自由画教育」というのもあった(らしい)。それまでは、「臨画」、「臨写」が図画の学習内容だったという。橋本雅邦が描いたお手本の絵を文部省の役人が“形がおかしい”と修正したあとの写真図版を何かの本で見てびっくりしたことがある。透視図的におかしい、ということなのだ。ということは、絵もまた西洋文明移入の一つだったということだろう。当時は「画学」と呼んでいたはずだ。
開高健の『裸の王様』という小説が、戦後の「児童画教育」を手がかりにした話だったことはすっかり忘れていた(高校生の頃に読んだきりだからしょうがないかも)。久保貞次郎という人や北川民次のこと、「創美=創造美育」のことはおぼろげながら知ってはいた。「新しい絵の会」というのもあったはずだ。とはいえ、これらのことは何も知らないに等しい。情けない。
情けないが、今、キンビの壁に並んでいる「児童画」が、大人たちが絵を描くということをどう捉えていたか、を照らし出していることは明らかである。ここには、実にフクザツで厄介な問題が見え隠れしている。
ところで今、義務教育の中で、絵を描いたりする科目=図画や美術の時間はどんどん削られている、と聞いている。専任教員も補充されずほとんどが非常勤の教員がその授業を担っているらしい。ということは、今キンビに「児童画」として展示されているような、描き上げるまでに多くの時間を要する絵を描きうる場は画塾へと委ねられ、もう義務教育の現場からは生まれて来そうもない、という現実がある。美術をめぐるこうした過酷な現場の中でも頑張っている教員はいるのだろうが‥‥。
個々の「児童画」について書くゆとりがなくなってしまった。尻切れトンボでごめんなさい。でも、ご覧になられると良い、と思う。
(11月19日、東京にて)
●東京国立近代美術館
https://www.momat.go.jp/