さらにエスカレーターで上階に移動すると、“ゴッホらしい絵”が並んでいて圧巻である。私は、とりわけ「緑のブドウ園」(1888年)に圧倒された。
私は、初めてこの実物を見た(と思う)。この絵の姿が目に飛び込んできた瞬間、一体、何が起こったか分からず、戸惑った。
画面は、半分より上方で水平に区分されていて、画面上方は青系の広がりが支配的だが、下方には、あたりに置かれた絵具の物質感と得体の知れない色彩の絡まりがあって、細部への凝視を強いている。目は、自然に画面下方の探索を始めている。その領域にあるのは、描かれた対象物が示されているというより、短い筆触の肉厚の絵の具そのものだ。筆触の置かれ方には、渦巻きとかコントウ—ル・ハッチングとかというような“規則性”さえ認めることができない。実に複雑な様相を呈した筆触である。
うねるようなこの領域に、さらに赤色や黒色の肉厚の細線がのたうつようにあちこちに伸びている。赤線には、その陰を示すかのような黒の細線が添えられているので、いっそう際立った表情を見せている。
画面の一番下方には、明度の高い名付けようもない緑味や紫味、黄色味、赤味を帯びた複雑な各種のグレイを短い筆触で塗り込んだ不定形の領域があるが、そこに丸味のある様々な緑の形状の点がこれも比較的肉厚に遠慮会釈なく置かれて、その上部の得体の知れない領域と繋がっている。あちこちに小さく紫色の筆触も認めることができたりして、目を捉えて離さない。
画面上方の青系の広がりの下方には、黒い細線が左から右へと水平に伸びていてその下には横方向に細長い黄緑の領域を認めることができる。黒細線の水平線の上部には小さく明度の低い青で樹木のシルエットが描かれ、赤い屋根、白かべの建物も小さくアクセント的に描かれているのにも気づくことになる。青色の領域には羽を広げて舞う何羽もの鳥のような小さな形状も認めることができる。この辺りで、これはどうやら上方は空、遠くまで広がる草地とその手前に何か植物が植えられている様子を描いた絵なのではないか、と見当がついてくる。遠くまで広がる、といえば、黄緑色の領域を分断するように割り込む「一点透視の畝」の描き込みが果たしている役割も大変大きい。このあたりで目はやや緊張を解きながら横のキャプションを見て、ああ、葡萄畑か、とその説明を受け止めるのである。
さらに画面を見れば、赤いパラソルをさしたご婦人なども配されていたのを確認して、赤や黒の細線は葡萄の蔓、見ればあちこちに幹も描かれており、なるほど、色づき始めた葡萄畑に農民たちが働いているところに、ご婦人たちが訪れてきたところらしい、とまずは安堵するのである。
安堵するのではあるが、その筆触の的確さは、さすが、というべきであろう。
この絵の表情は、晩年のセザンヌが描いた例えばサントヴィクトアールの連作を思い起こさせ、多くのことを考えさせるが、それを記述する力量が私にはない。
このフロアの“ゴッホらしい絵”には、次々に惹きつけられたり“疑問”を感じたりして、気がつくと長い時間を費やしていた。
急ごしらえの売店で図録などを販売していたが、絵葉書を数枚購入して満足し、「黄色い家」や糸杉の“ぬいぐるみ”(?)に思わず手を伸ばしては見たものの、我慢して帰路についた。ヘトヘトであった。さすがゴッホ。
(2021年10月14日 東京にて)
「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」
会期:2021年9月18日(土)~12月12日(日)
会場:東京都美術館
時間:9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
休館日:月曜日、11月8日(月)、11月22日(月)、11月29日(月)は開室
10月15日以降の金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
公式HP:
https://gogh-2021.jp/