それにしても、このくらいの距離から見て描いただろう、という位の距離に近づいて作品を見ると、色がハレーションを起こしてギラギラし、よくこれに耐えているものだ、と思う。正直、気持ちが悪くなってくる。このくらいの状況を自らつくり出さないと、彼女は壊れてしまう、ということなのかもしれない。そんなことを巷間伝え聞く。もしそれが本当ならば、いかにも大変だ。つらいだろう。彼女は絵を描くことを本当に「必要」としているのである。そのことが、よく分かる。
次の部屋には最初期の作品が並んでいた。小学校五年生の時に描かれた今や超有名なデッサンもある。私ははじめて実物を見た。とても繊細、というか繊細すぎる絵で色感のよさが明らかである。さらに、花瓶や花、人物にあらわれているかたちの的確さは、知的な資質を示している。そんな絵に小さな水玉がたくさん描き込まれているのだ。草間の水玉。
京都美大の学生時代にはよく学んでいた様子が伺える。すでに独自の世界を探求しようとする姿勢が明らかだ。日本画のコースの学生だったはずだが、さまざまな材料を使いこなしている。色は最初期からとてもきれいだし、イメージもすでに独特である。こんな学生に当時の京都美大の先生たちはどんなことを言っていたのだろう。
ガッシュで描いた絵やコラージュでの作品群も素晴らしい。見惚れる。圧倒される。サイズは小さいのに、グイッと引き込まれる。
すごいなあ。
このあたりでもうへとへとに疲れてしまった。あとの作品群はボーッとして見てしまった。もう一回見に来るか、来れるか。
余談ながら、グッズ売り場の会計に至る大行列に、なんと「50分待ち」の表示。私、“やよい人形”をゲットするために並んだのだ。列に並んでいた「おじいさん」は私くらい。頑張ったぞ。
帰宅して、森アートセンターと記されたタグに気付き、あれま、森美術館で扱うかも、と思ったものの、こうしてグッズを買わせてしまうパワーが確かにみなぎっていた展覧会。このパワーにはあやかりたい。
2017年3月16日、東京にて。