東京・竹橋の国立近代美術館で福沢一郎の作品群をまとめて見た。
正直、ほとんど期待していなかったが、これが面白かった。
入場後、最初に目に飛び込んできた正面の絵が、即座に前田寛治を連想させた。まず、色彩において。同時におおらかな形状把握において。
とてもいい。
近頃、こういう絵にはほとんどお目にかかれなくなった。もちろん、自分でも到底描けそうにない。
色彩は、明るいベージュからほぼ黒までの茶系の一群に独特な緑(オリーブ色?)が関係して、これは言ってみれば補色どうしなんだけど、その取り合わせがとってもきれいで、お、これはあなどれない、といきなり“用心”させられたくらい。
そして驚かされたのは、形状把握だ。細部にこだわらず、しかし細部のニュアンスをしっかり含んで、たっぷりとおおらかである。このたっぷりさがとても懐かしい。マッスという今や死語に近い造形言語が、ここには確かに息づいている。マッス、と言えば、「塊(かたまり)」の感じのことだけど、福沢の場合、必要以上にゴロンとした重苦しいマッスではなく、伸びやかで気持ちがいい。なので、エルンストに似た、とか言われる最初期の絵柄(確かにそうなのだが)がどうであれ、描かれているものの意味やものどうしの関係の意味や無意味、シュルレアリスムのことなどをほとんど考える必要もなく、ただ楽しんでいる自分を見出していたのである。
つづく→