こうした「ブロンクス・フロアーズ」を踏まえて、次に一軒の住宅を縦に切ってしまったのである。
その「スプラッティング」では、穴、というより線、隙間を作った。会場では、記録のフィルムがプロジェクションされていた。これは、以前ここ“近美”で見たことがあった(あの時も暑い最中だった。そして、寒くなって震え上がった記憶がいま蘇った)。
ゴードン・マッタ=クラークが、ロープにぶら下がって作業している。住宅の壁に二本の線を平行にきちんと垂直に引いたうえで、その線に添って電動ノコギリで切っているのだ。だから、二回切って、あいだのものを取り去り、わずかな隙間を作っているのが分かる。向こう側の壁も、屋根も、中の壁も床も天井も階段も、きっちりと一直線に計画的に切っていく。結果、住宅が真っ二つになる。大変な作業だ。安全については、はしごひとつとロープだけというシンプルさではあるものの、一応考慮されている。ジェネレーターはじめ各種道具の準備は怠りない。
アメリカの住宅の作り方は、日本の作り方とは違ってツーバイフォー、パネルを作ってそれを立て相互に組み立てて行く。ということはパネルの枠のところが構造的に重要になる。そういうところには、可能な限りノコギリを入れないように線を引いていることが見て取れる。住宅の形状は最後まで維持されねばならないのだ。行き当たりばったりでやっているのではない。大変な知性を感じさせる。ゴードン・マッタ=クラークは建築を学んだ人だ、ということを実感させられる。彼の活動は、どれも美術畑だけで学んで培われたものではない。このことの意味は大きい。
作業を一旦終えて、向こう側からの太陽の光が透けて見えている様子のカットがいかにも美しい。その時、切りくずなどがきれいに掃除されていることも面白い。ところで、作業はそこで終わらない。
今度はさらに、住宅の半分をジャッキで支えておいて、土台のブロックの上部を斜めにカットしていく。ジャッキは空気を取り込む土台の穴に据えられている。そのうえで、土台にわずかな斜面を作り、そこに切った家の半分を乗せようとしているのだ。電動の丸ノコは使っているものの、基本的に全て手作業でやっている。斜面ができて、ジャッキを緩めていくカットでは、こっちにも思わず力が入る。
以上のような作業の手順は考え抜かれていて、全く無駄がない。結果、切断されたすきまが上部からわずかに開いて、鋭い光の楔が住宅に打ち込まれているようにも見えてくる。とてもきれいだ。住宅が名状し難いものに変容している。じつに開放感がある。こうして記録映像が撮影、編集されていたことは、とても大事なことだ。おかげで、成果が共有できる。
額装された写真も面白い。住宅内部の写真。魚眼レンズという手もあっただろうが、選択していない。歪みを嫌ったのだろう。一度には内部を写せないから数枚のプリントを相互に貼り合わせて、切り口が一直線であることを示そうと構成している。断面の写真もある。上手に貼り合わせてある。かっこいい。
なんと、屋根の四隅の実物も展示されていた。切断箇所の表情が今も生々しい。ちゃんと現物の標本=証拠物件を保管していたのだ。周到だなあ。
あと、見学ツアーの記録もあった。来てくれるのを待つのではなく、観客を連れてきてしまう仕掛け作りをするなんて、すっごく柔軟だなあ。
以上の一連の展示で私たちは実際の住宅で何がどう行われてどうなったか、という「スプラッティング」のありさまを一人一人想像できることになる。
「ブロンクス・フロアーズ」や「スプラッティング」、それから「日の終わり」が、その後大きく展開していくことになるのは言うまでもない。
ところで、ゴードン・マッタ=クラークがパリで撤去寸前の建物に穴を開けていた1975年の「パリ・ビエンナーレ」で、藤原和通さんが巨大な音具を作ってコンサートをやろうとしていたのを知っている人はもう少なくなってしまった。この作品はパリ市からの設営の許可が下りずに完成できなかった、と聞いている。いかにも残念なことである。図面だけが残されている。
ついでに、「音具」という言葉は藤原和通さんが作り出した、ということも述べておきたい。
「ゴードン・マッタ=クラーク展」は必見。間違いなし。上に羽織るものを持参すること。時間がかかるけどめっちゃ面白いです。
2018年7月2日、東京にて
会場:東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
会期:2018年6月19日(火)~ 2018年9月17日(月・祝)
公式:
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/gmc/