藤村克裕雑記帳
2025-02-12
  • 藤村克裕雑記帳274
  • 野村和弘個展
  •  地下鉄・清澄白河駅に降り立ってA3番出口から徒歩数分のHARMAS GALLERY。「野村和弘『静かに眠れ/封印された、タブロー形式の作品 2025/2009』」展。

     このギャラリーでは、かつて(今でも)私が驚嘆した(している)野村氏の作品=「色点の作品(ドット・ペインティング)」にかかわる展示がなされていた。
     「色点の作品(ドット・ペインティング)」のシリーズから2点。1988年から1993年まで彼が滞在したドイツ・デュッセルドルフで、1989年から制作され始めたシリーズだ。
     ドローイング3点。「色点の作品(ドット・ペインティング)」の発端から、「色点の作品(ドット・ペインティング)」の形式が確定するに至るまでの間に試みられたドローイング(群)からの3点である。
     そして、今回の展示のメインをなす「封印されたタブロー形式の作品 2025/2009」。ドイツで制作されたこのシリーズの作品群のうちの101点を一点一点箱に入れてそれぞれ封印してしまった。その101箱を床に並べている。
     会場の見かけは、極めてシンプルだが、大変に高密度の展示になっている。

     思わず「封印した」ではなくて「封印してしまった」と書いた(打ち込んだ)。なぜそんなことをする? という私の複雑な思いがここに込められている。
     封印を示す小さな赤丸印のシールが一つ一つの箱に8つずつ、箱の厚みをなす4辺以外の8つの辺の中央に、赤丸の直径部が箱の辺のエッジに重なるように(二つの面を跨ぐように)それぞれ貼り込んである。さらに、その上を幅広の透明接着テープで貼り込んである。じつに厳密な封印である。それらが縦に床に直接立てられ相互にピッタリと接する状態で並べてあるから、つまりは細長い直方体=角柱になって横たわっているのである。封印を示す赤丸の半円が二つ接することで正円となり、それらが几帳面に並んでいる。僅かに生じている正円からの誤差が、これら全てが手作業で成り立っていることを示す“しるし”になってもいる。
     それぞれの箱の側面には、作品タイトル(=「WIE OFT ISST EVA DEN APFEL?」エヴァは、何回リンゴを食べる?)とこのシリーズの作品のための通し番号とをタイプ打ち(?)した“シール”を、同一寸法で箱の同一の場所に貼り込んでいる。
     通し番号は「1ー39」からはじまり、最後が「1ー195」となっている。つまり、「1ー1」から「1ー38」まではこの作品に含まれておらず、封印されていないようである。「1ー195」が最後なので、ドイツで作られたのは195点、ということかもしれないが、確かなことは分からない。途中、いくつも番号が欠けていて、都合101箱。「1ー195」の通し番号が、封印された作品の中では最も“近作”だ、ということになる。
     箱は、ボール紙製で作品のサイズよりひと回り大きいはずだがともかくは同一サイズで作ってあり、「タブロー形式」の作品がひとつ完成するたびに、箱も作って作品をその箱に収めてきたものである。もともと透明な接着テープを使って箱を作ってあったが、封印に際してさらにあらたな透明接着テープを十字に(赤丸の上になるように)貼り込んでいる。
     一つ一つの箱の色に差異が生じているが、そのこともまた、それぞれの箱の中に一点一点異なった同じシリーズの作品を収めていることを示している。そのような封印された101点の「色点の作品(ドット・ペインティング)」なのである。

     野村氏がこれら「タブロー形式」の作品を封印してしまったものを作品として発表したのは、2010年いわき市立美術館での東嶋毅氏との二人展の時だったはずだ。あの時、美術館2階の階段を取り巻くロビーの様なスペースの床と壁とが出会う領域のひとつに細長く直方体状に置かれたこれらを見た時、私にはにわかにその意味が理解できず、また野村氏が何故そんなことをするのか、ということにも思い至らなかった。そして、時を経るうちにこの「封印」のことを忘れてしまっていたのである。それがこうして久しぶりに人々の前に展示された。

     会場にいた野村氏に尋ねれば、ドイツでは木枠に綿布を張ってそれにこのシリーズの作品を作っていたが、日本に持ち帰ったこれらの作品にカビが生えてしまった。それが封印を決断する大きな理由になった、とのことだった。修復することも考えたが封印することを選んだ、という。封印された101箱から成る直方体=角柱のこの作品の購入を申し出る個人や機関があったとしても、決して封印を解かないことを条件にする、ということも野村氏は言った。
     決してまぜっ返そうとしたわけではないが、私はつい、どこかの銀行の貸金庫係みたいにこっそり封印を解いて中を見て、必要なら修復もして、知らん顔して、中身を入れ替えて、箱だけ元のように戻しておく人がいるんじゃないの? と尋ねてみたが、野村氏は取り合わなかった。つまり、決して封印は解かない。封印を解くことは許されないのである。
     帰国後も続くこのシリーズの制作には、木枠に綿布ではなく、木製パネルに化繊布を使っている、ということも野村氏は言った。絵具はいずれもアクリル樹脂絵具とのことである。

     「このシリーズ」、と書いた(打ち込んだ)。そもそも「タブロー形式」の作品=「色点の作品(ドット・ペインティング)」とはどんな作品なのか、それを共有するために、ギャラリー入口からの動線を無視することにはなるが、奥の壁に2点横に並んで展示されていた「色点の作品(ドット・ペインティング)」を少し詳しく見ていかなければならない。なお、「このシリーズ」には「タブロー形式」の他に壁に直接描く「壁画形式」と「ドローイング形式」とがある。今回は「タブロー形式」と「ドローイング形式」とのシリーズからの展示である。
  •  会場の壁に展示されたこの2点を手持ちのスマホで撮ってはみたが、画像を拡大しても、作品のディテールを把握することは困難だろう。プロの写真家がこの作品を本格的に撮影したなら、どのくらいまでの再現がなされるか、その精度への興味はある。あるが、私は素人である。以下のヘタクソな補足説明文で堪忍してほしい。

     「タブロー形式」と野村氏が呼ぶこの作品の寸法は、縦260×横190×厚さ30mmと小振りで、真っ白なので、この作品に視線を向けたとしても、かなり多くの人々が、“白く塗られただけのミニマリズムの小品”として“了解”しただけで、丁寧に見入ることもしないでそのまま立ち去ってしまうのではないだろうか。壁が白ければ、作品の存在自体に気が付かない人々もいるに違いない。
     が、その平滑な白い面に一度でも目を凝らせば、そこではゾッとするほどの事態が展開されているのを知ることになる。

     白い面には超微細な「色の点」が多数打たれている。
     赤の点、橙色の点、黄の点、緑の点、黒の点。
     そして、なにか秩序あるいは規則性を感じさせる「色の点」の配置。 

     種明かしになるかどうか。秩序あるいは規則性を感じさせられるのは、「色の点」が2.5㎜間隔の水平・垂直の格子=グリッドの交点上の、“必要なところ”に打ってあるからである。私たちは知らず知らずこの作品の格子=グリッドを認知できているのだ。
     “必要なところ”というのは、ある何かの形状を示す情報を観客に与えるために必要なところ、という意味だ。“何かの形状”、その「何か」の答えを見出すまでには、しばしこの260×190mmに限定された領域に視線を行き来させ、たびたび目を凝らさなければならない。
     すると次第に、赤、橙、黄、緑、黒と5色の超微細な点と点とは、互いに連なって“線”を感じさせて、何かの形状の輪郭を示しているように見えてくる。
     そして、例えば赤の点の連なりがある形状の“線”を感じさせている領域の中央部に「T」と読み取れる黒の点の連なりがあり、橙色の点の連なりがある領域には「O」と読み取れる黒の点の連なりがあったりすることに気付いていく。黄色の点が集中している領域には「Z」という文字が読み取れる。緑の点が“線”を感じさせているところもあるが、そこに黒い点が連なる文字情報はない。
     このような文字情報の助けは大きい。これらから、“何かの形状”の輪郭は、トマト、オレンジ、レモン、そして茎、、、画面中央に植物の茎があって、左右に三本ずつ枝分かれし、そこに実がなっている植物の姿ではないか、と見当がついてくる。一本の茎から3種類の実がなる奇妙な植物。
     とはいえ、画面には文字情報を示す黒の点も含めた「色の点」がランダムに配されている領域もあるのだ。これをどう解釈すればいい?
     その疑問は一旦ワキに置いて、形状のことだけを見れば、茎が左右に三本ずつ=六本に枝分かれして、左には上からトマト、オレンジ、レモンが、右には上からレモン、オレンジ、トマトが実をつけている奇妙な植物の姿の輪郭が示されている、と結論づけることができる。

     さらに観察すると、上記の結論に誰もが到達できるように、野村氏はある仕掛けを用意していたことに気付かされる。画面の下辺に注目しなければならない。
     画面の下辺には、まず、黒の点で「84」とあり、その下に新たな行を設けて、赤の点で「76」、黄色の点で「87」、橙色の点で「112」、緑の点で「262」と読める「色の点」の連なりを配している。
     「色の点」で示される数字の姿は、電光掲示板で表示される数字の姿を思ってもらえればよい(画面に描かれたこれらの数字だけでなく、「T」や「O」、「Z」といったアルファベットの大文字、それから他の形状においても同様である)。これらの数字はどうやらこの作品の画面に打たれている点のそれぞれの「色の点」の総数のようだ、と見当がついてくる。点を並べて示した数字で、画面で用いられている点の総数を示しているのである。84+76+87+112+262=621。
     文字情報を示していた黒の点の場合を例にして見て行けば、「84」と点で表示するには20個の点が必要である。ここに黒点で示された「84」から20個を引いた残りの64個が図像の中に用いられた文字情報=「T」「O」「Z」のための黒点の数と等しい、ということになるだろう。そこで図像の中の黒点をさらに数えてみると、赤い点で囲まれた「T」には9個の黒い点が必要であり、もう一つの「T」のために9個の黒い点が準備されているはずである。
     以下同様に、橙色の点で囲まれたオレンジを示す「O」のために10個の黒色の点、もう一つの「O」のために10個の黒い点。黄色で囲まれたレモンを示す「Z」に13個の黒い点、もう一つの「Z」のために13個の黒い点。これらの合計で黒い点は64個。ピッタリとあった。
     同様、赤の点で打たれた「76」のために必要な点の数は18個なのでトマトの輪郭のためには58個の赤点、黄色の点で打たれた「87」には18個の点が必要なのでレモンの輪郭のためには69個の黄色点、橙色の点で打たれた「112」には27個の点が必要なのでオレンジの輪郭を示すためには85個の橙色点、緑の点で打たれた「262」には33個の点が必要なので茎の輪郭を示すためには229個の緑色点、以上の「色の点」がそれぞれ準備されている、ということになる。それらのうちほぼ半分を使って赤の「色の点」でトマトを示す輪郭の連なりを、黄色の「色の点」を使ってレモンを示す輪郭の連なりを、橙色の「色の点」を使ってオレンジを示す輪郭の連なりを、緑色の「色の点」を使って茎を示す輪郭の連なりを描出するために準備している、ということになる。こうした仕組みを読み取りやすくするために、形状の輪郭の“線”の工夫はもちろん、トマトは赤、オレンジは橙色、レモンは黄色と“固有色”の点でそれぞれの姿を描き出し、その中に黒色で「T」「O」「Z」と文字情報でヒントを与えていたのである。
     
     さらに野村氏はこの奇妙な植物の図像を縦、あるいは横に、真っ二つにしてしまうのだ。なぜ、そんな発想に至ったのかを野村氏に尋ねてみたことはない。
     ないが、ともかく縦に真っ二つにしたなら、右か左の一方は“固有色”(トマトは赤色、オレンジは橙色、レモンは黄色、茎は緑色)の点を用い、そして文字情報に黒色の文字情報を用いる。残りのもう一方の側では、固有色にこだわらず、残された数の、赤、橙、黄、緑、黒の「色の点」をランダムに打っていく、「色の点」の数はそれぞれ決まっていて、そこからの増減は許されない。この規則は厳守されるのである。
     同様、真横に真っ二つであれば、上か下、どちらかを固有色の領域にして、もう一方がランダムな領域、ということになる。

     都合四通りの組み合わせが生じ、ランダムな領域では、無限ではないが無数の組み合わせが生じるから膨大な量の制作の継続を可能にする。つまり、シリーズでの作品制作が可能になる。
     というか、シリーズでの作品制作の必要が生じてくる。

     このような仕組みによる「色の点」による「色点の作品(ドット・ペインティング)」は、点という造形要素だけでこんなことができるのか、という驚きを私にもたらした。その時、私はつぎのような事柄を脳裏に去来させていたように思う。
     まず、「見る」ということについて。私たちは展示された作品すら見ていないかもしれない。とはいえ、どこまでどう見れば見たことになるのだろうか?「見る」ということはいったいどう成り立っているのだろうか。
     それから、私たちは点が連なると“線”を感じるが、点と点との距離が離れれば“線”を感じることはなくなる。その閾値をどのようにみつけることができるだろうか。野村氏は点を打つための格子の間隔を2.5mmに確定しているが、この2.5mmという間隔を確定するに至るまでの試行は簡単なものではなかったはずだ。
     先に電光掲示板を例に出したが、野村氏がこの作品で見出した図像は限りなくデジタル世界に近い。それをアナログで、つまり手作業でやっている。コンピュータに習熟していれば、野村氏の方法でどのような組み合わせが可能かを導き出すアルゴリズムは容易に見出せるだろう。“描画”も代行してくれるに違いない。そうせずにアナログの手作業でこのシリーズに取り組み続けていることの意味はどういうものだろうか。手作業であるゆえに可能になっている作品の現れがたしかにある。
     図像の半分の色点をランダムな状態にする、ということこそがこの作品のシリーズ化を可能にしている。シリーズ化したことで、動的な状態の表現を作品に取り込むことを可能にしている。さらに、作品の成り立ちと現れが“自律”して、仮想の客観世界が成立している。それは野村氏独自の世界である、と言っていいだろう。
     さらに一本の茎から三種類の果実ができる、という“キメラ”の姿。現代では身近になった遺伝子操作というか遺伝子工学へと問題がつながっていく。科学批判?

     今回、会場奥の壁に2点展示された作品はいずれも中央から縦に半分にされ、右側の作品は右にランダムな状態をつくり、左側の作品は左にランダムな状態を作っていた。そのことを確認するに至るのに、私は三度会場に足を運ばなければならなかった。つまり、今回もほとんど作品を見ていなかったことを自覚しなければならなかった。
  •  昨年(2024年)、東京都現代美術館のコレクション展での「特集」で、野村氏の作品が、初期から近作まで、網羅的に手際よく紹介されていたが、その時も、「色点の作品」は壁に2点並んで展示されていた。
     この時の特集展示では、彼がドイツ時代に取り組んでいた(らしい)方眼を用いたドローイング作品などの展示も含まれていた。「色点の作品」と繋がるものとして興味深かった。また、小さなフィギュアを縦に真っ二つに切って異なったフィギュア同士を貼り合わせた作品もあった。さらに、小さく描いたボールの絵をたくさん集めて「BALL」という文字をつくる、というプランのドローイングもあった。それらはいずれも「色点の作品」のシリーズに繋がるものとしてじつに興味深かったが、それらの中でも2点並んだ「色点の作品」はやはり迫力満点であった。
     ふと気付くと、若い男女が一瞥しただけでその「色点の作品」の前を通り過ぎようとするので、思わず、面白いから、ちょっとゆっくり見てみたら? と目を凝らしてみることを促すと、素直な男女で、おとなしく従ってくれた。そして、あーっ! と声を上げ、その後絶句しながら見入っているので、私はつい嬉しくなり、説明をしてしまった。
     説明のたびに、あーっ、ホントだ、とか、へーっ、とか感嘆するので、さらに説明を続けて、レモンは黄色の点、というところを話していると、え? レモンなのにどうして Z なんですか? と問われて、えと、ドイツ語でレモンは Z で始まる言葉だからだよ、と言うと、なんていうんですか? と言ってくるので、えーっ? わかんないよ、と言って三人で大笑いになった。ドイツ語では Zitrone という(らしい)。

     ついでに述べておけば、この時の現代美術館では長谷川繁氏の特集展示もあって、野村・長谷川両氏の対談が美術館によって企画されたが、そのとき、長谷川氏の絵について野村氏が“解説”をはじめ、描いている形状とキャンバスのヘリとの関係とのことや、一見異なって見える形状の面の面積が同一であることなどを具体的に指摘して、長谷川氏が、面積のことには気付かなかったけど、じつはあの辺りに描いてあった形を消してこのようになった、と述べて会場を驚かせたのだが、方眼を恐竜のシルエットになるように鉛筆の塗りで埋めた作品の時期からマス目を数える“習慣”=面積の大きさに敏感になったという野村氏の“特技”には唸らされてしまった。そんなエピソードも書き加えておきたい。
     長くなっているが、まだ続く。
  •  さて、今回の展示では、「タブロー形式の作品」=「色点の作品」のシリーズへと結実していく最初の取り組みが3点のドローイングと野村氏自らが執筆した文章で詳細に明らかにされている。

     そもそもの発端などについては省略するが、まずは、塩化ビニール製のおもちゃの植物に手を加えて、それをモチーフにし、それを見ながらきっちり描写的に描いた水彩画が展示されている。素直に描かれた作品である。ここでは、葉っぱも描かれていることに注意しておこう。これが1点目。
     2点目は、1点目の描写的な水彩をもとにして、葉っぱを省略して、茎と実とをシルエットとして単純化したドローイング。ここでは、植木鉢が追加して描かれている。植木鉢は最終的には省略されていく。
     3点目の図像は、「タブロー形式」の作品の形式に近付いている。が、用いられている紙が「タブロー形式」の作品に比べて大きい。点を打つには、黒色と金色との2色が選ばれ、5ミリ方眼の縦横の線の交点に点を打っている。その点の繋がりで茎から枝分かれしてトマト、オレンジ、レモンがなる奇妙な植物の姿の輪郭を示すと同時に「WIE OFT /ISST/EVA DEN/APFEL ?」と4行に渡って文字情報が点で打たれている。このドローイングではすでに、図像の中央で左右二つの“世界”を形作っており、右側は文字情報は黒の点、奇妙な植物の姿の輪郭を示すに必要なところは金色の点で打っている。この図像の左側では黒の点と金色の点をランダムに打っている。すでにこの時期には、図像の中央で異なった世界を分ける(あるいは異なった世界を出合わせている)、という方法を見出していることが分かる。黒は259、金色は298。黒の点による「259」のために黒の点が32個、金色の点による「298」のために金色の点が31個 。残りの黒の点227個は上記のように打たれ、金色の点267個も上記のように打たれている。
     ここではドイツ語で「エヴァは何回リンゴを食べる?」という意味でアルファベット表記された文字情報が加わっているので、キメラの植物の図像の方は最終的に「タブロー形式」へと確定した形状とはわずかに異なっているが、「タブロー形式」の原形はここにすでに現れ出ている、といってよい。
     「タブロー形式の作品」においては、文字情報は黒点による「T」、「O」、「Z」に限られ、トマト、オレンジ、レモン、茎の固有色による点(赤、橙、黄、緑)が選び出されている。また、文字情報が変化したことに伴って、極めて微妙な箇所であるが形状の吟味が丁寧になされていることが見て取れる。主に形状同士が前後に重なるところの表現への吟味であるが、こうしたことに気がつくと、いかにも記号的な処理のキメラのような奇妙な植物の図像であっても、絵として成立できるための配慮を野村氏は忘れてはいない。
      
     今回の野村氏の発表をめぐっては、そのメインの作品であるところの、自分自身のシリーズの作品の一部を作家である自分自身が封印することについて考えてみなければならないが、またまた長くなりすぎている。別の機会にチャレンジしたい。
     また、同時期に紫牟田和俊氏の作品発表もあって(六本木・TIMES & STILE MIDTOWN)、これも
    メモしておきたいが、私の力が尽きた。これもまた、別の機会にチャレンジしたい。写真のみ掲載しておく。
  • (2025年2月11日、東京にて)
  • 静かに、眠れ/封印された、タブロー形式の作品 2025/2009
    野村和弘

    会期:2025年1月18日(土) - 2月22日(土)
    会場:HARMAS GALLERY
    公式HP:http://harmas.fabre-design.com/exhibitions/current/


    ART IN TIME & STYLE MIDTOWN vol.26
    紫牟田和俊

    会期:2025年1月17日(金) - 2月11日(火・祝)無休
    会場:Time & Style Midtown
    公式HP:https://www.timeandstyle.com/jp/%E7%B4%AB%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%92%8C%E4%BF%8A%E3%80%80kazutoshi-shimuta/


    写真1:野村和弘「封印されたタブロー形式の作品 2025/2009」
    写真2:野村和弘「タブロー形式の作品」
    写真3:東京都現代美術館コレクション点における野村和弘氏の特集展示から、方眼を用いたドローイング
    写真4:野村和弘「ドローイング」3点、展示風景
    写真5:紫牟田和俊作品「24 blind paintings and the box」
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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