映画を見て来た、と書きたくなるくらい久しぶりに映画を見て来た。話題の『ある画家の数奇な運命』(原題は『WERK OHNE AUTOR』)、ゲルハルト・リヒターをモデルにした物語。
今、リヒターを知らない美術好きはいないだろう。私ももちろん知っている。私がはじめて彼の作品を小さな写真図版で知った時、彼は東ドイツの作家だった。それがいつの間にか、西ドイツに移動していて、あれよあれよという間に頭角をあらわした。今や、超のつく有名作家である。現存作家のうちで作品が最も高額で取引される、とも伝え聞く。
この映画は、まだ主人公が小さかった頃、叔母に連れられて「退廃芸術展」を見るところから始まって、ナチの時代、社会主義東ドイツの時代を経て、西ドイツに亡命し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学び、個展で成功するまでを描いている。もちろん、リヒターの生涯を厳密にたどる、というような映画ではなく、リヒターをモデルにしていても、巧みな脚色が加わって、3時間以上の時間を飽きさせることがない。
主人公に大きな影響を与えた美しい叔母が、のちに主人公の恋人=妻になる女性の父親(=ナチの高官の「教授」=権威ある産婦人科医)の指示で、ガス室で殺されていく。これが物語構成上の大きな軸である。
「退廃芸術展」の“ギャラリー・ツアー”を仕切るナチの男のセリフはいかにもあのようだったろうし、社会主義政権下のドレスデンの「アカデミー」の党員「教授」が「社会主義レアリズム」を説くセリフもあのようだっただろう。「退廃芸術展」の会場が白い仮設壁で構成されていたことや、「アカデミー」の教室で、2人のモデルを見下ろしている位置から描いているにもかかわらず、描きつつあるのは下から見上げている絵になっている、などということを指摘するのはただの「揚げ足取り」になるだけだろう。
西側の鉛筆が画学生たちにとってそうとう貴重なものだったらしい、というようなディテールは、当時の西と東の対比としてそれなりに納得させられるだけでなく、主人公と恋人=妻との出会いに繋がって、無駄がない。
同様に、重要な場面で、主人公が視野を塞ぐように手をかざし、手にピントを合わせたまま手を取り去ると視野全体がボケ続けるカットや、叔母がバスのクラクションに包まれて恍惚となるカットが、大きな意味を孕んで回帰し、ここにも無駄がない。映像も美しい。
デュッセルドルフ芸術アカデミーには私も憧れたものだ。なぜか? ボイスがいたからだ。ドイツ語を勉強もしてみたが身につかなかった。私費で留学する根性もなかった。ボイスが日本に来た時には、訳あって私は北海道にいて動けなかった。なので、ボイスがいて、ギュンタ・ウッカーが“世話係”で、あんなに広いスタジオが提供されて学べるなんて、主人公が羨ましい。
個展後、その「教授」のオフィスに主人公の絵が届けられている。つまり、ボイスがリヒターの絵を購入した訳だ。すごいじゃん! ‥‥というように現実と映画がごちゃごちゃになる。それもまた一興である。ぜひご覧になられると良い。
(2020年10月14日、東京にて)
映画『ある画家の数奇な運命』(原題は『WERK OHNE AUTOR』)
公式HP
https://www.neverlookaway-movie.jp/