藤村克裕雑記帳
2022-01-20
  • 色の不思議あれこれ209
  • 犬一匹に500万円!
  •  パソコンを新調した。使い方が分からない。困る。
     で、今まで使っていたパソコンを使うことにした。新調した意味がないが、やっておかねばならないことがある。ワープロ機能で文章を打ち込んで一旦「保存」した。それをメール添付で送ろうとしたら、保存したはずの文章が消えている。行方を辿ろうとするが、見つからない。こう いうことをはじめ、奇妙な事態が頻発するようになったので、思い切って奮発してパソコンを新調したのだった。なのに、今度は新品のパソコンの使い方がよく分からない。驚くほど速く反応することだけは分かる。ともかく、消えた文章を“再現”して送らねばならない。
     そういうわけで、今朝は早い時間に目覚めたのである。
     が、寒いので布団でグズグズしているうちに二度寝して、結果、寝坊してしまった。
     家人が「ひえーっ!」と言っている。
    「どうしたの?」と尋ねると、朝刊に挟まってくる広告の中の一枚を差し出した。
    「犬探してます」「懸賞金 500万円」「100万円」とある。
     犬に・・・・、500万円って......。
     思わず、部屋の中を見回してみるが、その犬がこの部屋の中にいるわけがない。500万円分、ソンをした気持になるのが不思議だ。
     念のため、窓から外も見てみるが、左に一軒置いた隣の家をマンションにする工事の関係者がいるばかりで、犬はいない。今は基礎工事の真っ最中で、杭でも打ち込んでいるのだろうか、今日も、かなりの揺れに見舞われるだろう。地震と区別がつかないので少し困る。もう少し経つと、今度は右に一軒置いた隣の家もマンションにする工事を始めるらしい。実に落ち着かない。
     それにしても、犬に500万円、である。500万円が頭から離れない。500万円でセザンヌは買えないだろうが、セザンヌを見物するために世界中のどこにでも出かけることなどはできそうである。コロナという難儀な障害はあるが。
     「ああ、犬になりたい、と思ったが、犬になってどうする?と自問して、犬になっても500万円もらえるわけではないことに気がついた。そんなことを考えてしまう自分が実に情けなくなった。
     テレビをつけると、ヴェネツィアに住む人のペットの大型犬の話をやっている。犬の食費が月に4万円だか5万円だか必要だ、と言っている。犬づくし、金づくしの朝である。
     犬のことは早々に断ち切って、仕事場に移動した。
     今日こそは、ここに載せる文章も書かねばならない。随分サボってしまった。いつの間にか、 展覧会見物記のようになっている。この間、展覧会を見なかったのではない。「ボイス+パレルモ」(埼玉県立美術館)、「クリスチャン・マークレー」「久保田成子」(東京都現代美術館)、「ミニマル/コンセプチュアル」(DIC川村記念美術館)などを見た。どれもとても面白かった。しかし、文章にしてみようとすると、うまく書けなかった。チャレンジはしてみたのである。今日も上手く書ける気がしない。しないが、結果を気にせずはじめてみる。
     ボイスは、私が学生の時に一人旅したヨーロッパのあちこちでたくさん見た。パリで出くわした巨大な作品、床に厚くて大きな鉄板が何枚も何枚も隙間なく敷かれた上に大きなバッテリーがグリスをなすりつけられて三つ四つ等間隔で置かれ、壁に巨大な“壁掛けがフェルト製とゴム製、それぞれ垂れ下がっていたあの作品、あれにはびっくりした。ああういうものに比べると、タマキンには小ぶりの作品が並んでいた。学生時代から写真図版でしか知らなかったパフォーマンスの記録映像がいくつかあって、それを見て、ああ、こういうものだったのか、と何十年も経って知ることができた。幸いというべきか。
     パレルモは初めてまとめて見ることができた。作品写真図版より遥かに良い。当たり前か。とはいえ、その良さを言葉にしようとすると、もう降参である。歯が立たない。パレルモがこうしてやって来るのだから、次はイミ・クネーベルをお願いしたい。クネーベルは、栃木県立美術館 でやったことがある。私も見に行った。かっこよかったなあ。でも、これもそのかっこよさを言葉にしようとすると、私の力では無理なのが分かる。
     ボイスもパレルモもクネーベルも、東京では「かんらん舎」でしかみることができなかった。
    「かんらん舎」は閉じてしまったけど、昨年、大谷さんの資料展を見ることができた。その展示 を企画・実施してくれた角田くんは未知の人だった。いろいろ話しているうちに、藤原 和通さん を知っている、というのでびっくりした。出会いというのは面白い。
  •  で、「かんらん舎」のことに戻るけど、何年か前にとても小さなクネーベルの作品の前で、大谷さんの奥様からクネーベルのことをいろいろ教えてもらったことがあった。別の時は、大谷さんから書棚を見せてもらったこともあった。戦時中の雑誌や書物が壁一面の書棚にささっていて、さすが! と思った。話題がいつの間にか拡散しているが、クネーベルをやってほしい、という話だ。
     クリスチャン・マークレーはとっても期待していたけど、映像作品に含まれている音以外に、音 の資料がなかったのでちょっと残念だった。いくらカバーのないレコード盤や継ぎ合わされたレコード盤などを見せられても、クリスチャン・マークレーの作品と触れ合った気はしなかった。面白い展覧会ではあったが。
     久保田成子は資料類がとっても面白かったけど、肝心の実作品の方は、ピンと来なかった。白南準(ナム・ジュン・パイク)にも同じようなことを感じてしまう。フルクサスで活動している時が 面白い。この私の“偏見”はどうにも改まらない。 
     「ミニマル/コンセプチュアル」はフィッシャー夫妻の活動を示すという軸があるから、例えば ジャッドやコズスなどの作品は展示に含まれていない。幅広の廊下のようなデュッセルドルフのギャラリースペースでどんなことが行われたかが示されていたわけである。すでにDIC川村記念美術館での展示は終了してしまった。私は終了間際に滑り込んだ。作品を運搬して展示するのではなく、作家を連れてきて作品を制作してもらって展示する、ということを初めてやったのがフィッシャー夫妻だという。素晴らしい。以前、ゲルハルト・リヒターをモデルにした映画のことをここに書いたけど、あの映画を思い起こせば、当時のデュッセルドルフ・アカデミーの雰囲気が一層捉えやすくて、興味深かった。
     展示されていた作品のうち、ソル・ルウィットのドローイング、ドローイングといっても定規を使って描いた図面みたいなものだけど、間違えたところをモジョモジョと線で”消して”あって、親しみを感じさせてくれた。また、ブルース・ノーマンの乱暴すぎるようなドローイングも興味深かった。ドローイングを「作品」のように考えてはいない。あくまでも考えを纏めたり、考えを記憶したりするためのものが彼らのドローイングなのだ。
     他にも、昨年末には北海道立旭川美術館で開催中の「神田一明、日勝」展を機に神田一明さんご夫妻にお目にかかってお話を伺ったり作品群を見せていただいたりできた。このことはまたいつか書くかもしれない。
     また、向井三郎という未知だった人の個展を両国のアート・トレイス・ギャラリーで見ることができて、これがとても面白かった。向井氏は必ず現場に立って現物を見ながら、木炭の線だけ で描いてきている。だからだろうか、シンプルな画面に見えてとても豊かな内実が伝わってくる。フェイスブックだったかに、サンダルの“鼻緒”のところだけ残してあとは真っ黒な向井氏の足の写 真が投稿されていたのを見つけて、たまげてしまった。すごい人がいるものである。(2022年1月18日)

    「ボイス+パレルモ」展
     2021年10月12日(火)-2022年1月16日(日)
    会場:国立国際美術館 B3階展示室※すでに終了しています。

    画像:ブリンキー・パレルモ《無題(布絵画:緑/青)》1969 クンストパラスト美術館、デュッセルドルフ ©Kunstpalast - ARTOTHEK

  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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