で、買って帰ってきた二冊の本である。
一冊は金井直氏が愛知芸大ギャラリーで企画した白川昌生氏との2人展=「彫刻の問題」展の時に小田原氏によって作られた『彫刻の問題』である。著者はこの3人。(購入した本は透明なプラスチック袋に入っていたのに、開封して本を開くと二箇所のぺージになぜかそれぞれ、ブルーの付箋が縦横に一枚ずつ貼られていてこれも作品か? と思わせられたが、気にせず剥がしてしまった。どのページだったかメモしておけば良かった。)
小田原氏はまず、長崎の平和公園が「戦後日本における平和とは何か」「人間にとって彫刻とは何か」と問いかけている展覧会場のように見える、と言うのだ。そして、圧倒的に裸婦像が多い「平和」という名の公共彫刻の由来を問い、「彫刻」について問う。日本の「彫刻」を起源=工部美術学校彫刻学科の創設まで遡って探り、公共彫刻=モニュメントについて探る。そして、長崎の「平和公園の原爆落下中心地モニュメント」をめぐる問題を追跡する。その過程で得た「恥」の感情を吐露し、こう書くのだ。
‥‥(略)健民彫塑展示会、大東亜戦下彫刻展、日本帝国軍が植民地としたアジア諸国に強化のために置かれた二宮尊徳像の大量生産など、彫刻が関与した動向のすべてに、私は与しているという自覚がある。なぜなら、敗戦後、何の反省もしなかった彫刻家と彫刻教育機関が現在に至る連続性の中で、私は彫刻に興味を抱き、彫刻をつくるための教育を受けることを自ら望んだのだから。
厳しい認識である。そして、こう続いていく。
私は想像する。この国の体制が再び転換する日を。それは、かつて軍人の銅像が一斉に消えたように、平和の彫刻=女性裸体像が突如として取り去られ、あるいは引きずり倒される日だ。それらが引き倒されたときはじめて、公共空間の平和の裸婦像が戦後民主主義のレーニン像であったことがわかるだろう。
うーん‥‥、唸る。
もう一冊の『彫刻1』も、同じ問題意識で貫かれている。小田原氏の二人の師(小谷元彦氏、青木野枝氏)へのインタビューも加え、多くの専門家・研究者の論考、座談でより精緻に構成されている。驚くべきは、これを自ら編集構成し、造本し、さらに発行していることである。ただ事ではない。しかも、英文併記なのだ。海外を射程におさめている。
まだ全てを読むに至っていないが、青木野枝氏の発言が素晴らしい。重い鉄をまるで紙工作みたいに軽やかに扱う人だ。近年はさらに展開してスリリングでさえある。なるほど、こういう人だからどんどんぐんぐん展開できる。青木氏からこうした話を引き出せる小田原氏も素晴らしい。他もこの後のお楽しみ。
この『彫刻』は今後も刊行され続けるらしい。すごい! 皆さんも読まれるとよい。ぜひ。
そんなわけで、メモしておこうと思ったのである。
2019年3月25日 東京にて
Bank ART
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