東京駅ステーションギャラリーでの「モランディ展」のことを先にメモした。
その後、同展は盛岡市の岩手県立美術館に巡回中だという。6月5日まで。ああ、せめて、もう一回みたい。けど、ムリだな。お財布が軽すぎる。そのかわり、と言ってはナンだが、充分すぎる余韻に浸っている。
先のメモに、会場に展示されていた写真、ボローニア・フォンダッツア通りのモランディのアトリエ写真に写っていたモチーフ台のテーブル面の形状が台形ではないか、と最後に記した。その後、図書館で調べてみたり、イタリアに留学経験のあるイタリア美術の専門家に聞いてみたり、したが、確認できなかった。それで、思い切って「担当の学芸員の方」宛に手紙を出した。そうしたら、成相肇さんという方が、すごく丁寧にいろいろお教えて下さった。お仕事で忙しい中、本当にありがたいことだった。
で、結論だが、やはり台形だった。手前側が下底、奥が上底の台形。手作りでパネル状につくって、既存の“足”につないでテーブル状になるように一体化してある。その手作りのモチーフ台の全体をさらに木箱に乗せて高くしてある。床面からそのテーブル面まで、136cmの高さだという。成相さんがモランディ美術館から提供してもらった寸法ということだ。教えていただけて、本当にありがたい。
件の台形のもの以外に、質素過ぎるくらいのモランディのアトリエには、モチーフをセットして描くためのテーブル=モチーフ台があと二つ、全部で三つある。
一つは台形の台のとなりにほぼ同じ高さで楕円形の台。壁に対して若干斜めに置かれている。背後に布を張ったパネルを置いて楕円の長軸と平行な面を作ってある。
もうひとつは別の壁(ベッドの置かれている壁の反対側の壁)に添わせて置かれている。背の低い、というか普通の高さのモチーフ台=テーブル(床から84cmという)、これも既存のテーブル上に手作りの四角いパネルを置いてあるように見える。
あと、モチーフ台にも使えそうな整理棚、H型イーゼル、三本足イーゼル、ベッド、イス、小ぶりなキャビネット、たくさんの瓶などのモチーフ、少しの本、紙類、画材。これらがアトリエにあるすべてだ。窓はひとつ(ひょっとするとふたつ?)、天井から電球ひとつ。これらの配置の状況が、成相さんから教えてもらった資料から、すこしずつ頭の中に整理されてきた。部屋の大きさは十畳くらいだろうか。本当に質素そのものである。
ここまでイメージを確かにできたのは、成相さんが、愛知芸大客員教授・美術ジャーナリストの鈴木芳雄さんの文章のあるサイトを教えてくれたからだ。
https://byronjapan.com/archives/3820
がそれ。
これを読むと、今回のモランディ展の会場に展示されていたアトリエの写真は、Paolo Ferrariというひとが撮影した写真だということが分かる。鈴木芳雄さんはそのPaolo Ferrariのサイトも紹介してくれている。
http://www.paolorerraifoto.org/archivio/displayimage.php?album=1&pos=9
がそれだ。
ここをみると、たくさんの写真があって、台形のモチーフ台のこともアトリエの様子もとてもよく分かる。この文を読んで下さっている方は、ぜひご覧になられるとよい。
で、なぜモランディはこういう不思議なモチーフ台を手作りして使っていたのか、ということが問題だ。いくつかの可能性は考えたが、きちんと仮説を述べるには、もう少し時間を要する。調べたいことが、まだいくつもあるのだ。
たとえば、台形のモチーフ台の“足”の隙間にみえている平行四辺形らしきパネル。これもまた、モチーフ台にしていた可能性があるのではないか、ということ。
モランディのアトリエは、いま、フォンダッツア通りのかつての場所から、ボローニア市役所の建物内のモランディ美術館に移されて保管・展示されているそうだ。ボローニアに行って、その実物を前にいろいろ確かめたい気持ちが募る。そうなってくると、ああ、お財布が軽すぎる。悲しい。
美術館に移されたモランディのアトリエには、こんどは、その全体に少しずつ埃が積もっているのだろうか。インターネットには、ガラス越しに覗くらしき現在の“アトリエ”の写真もあった。すごい時代になったものだ。こんな時代だからこそ、絵画というもののすごみを再確認できるし、していくべきだろう。
2016年5月25日 東京にて