藤村克裕雑記帳
2024-10-28
  • 藤村克裕雑記帳267
  • 岡山県立美術館「藤原和通 そこにある音」展を見た その2
  • 「Chapter 2 パーレにて」

     この章ではイタリア時代の藤原氏の活動を「リキアーミ」を中心に紹介している。
     さまざまな事情があったにしろ、結果的に藤原氏は「パリ青年ビエンナーレ」と「ベニスビエンナーレ」という“晴れ舞台”で構想していた巨大な「音具」を実現できなかった。立て続けのことで、しかも多くの人々を巻き込んでのことだから責任も生じただろう。当時の藤原氏の心中は想像するに余りある。
     結局、そのままイタリア各地を転々としながら、やがて北イタリア山中(アルプス)の寒村パーレに落ち着き、バイオリンの弓を作りながら1988年までそこで暮らした。
  •  転々としながらの時期、自然発生的に、拾ったもので小さな「音具」を作るようになって、それらは『図録』に写真図版で四つ掲載されている。そのうちの一つの実物が展示されていて感動した。おそらくは1977年の2月3月、「駅に寝たりしながら、合間を見つけて」「全て拾ったもの」を材料にして作った、というそれは、糸のついた丸い輪っかを引くことで小石と小石とが擦れて「音」を出す仕掛けである。非常によく考えて作られている、と思う。同時にその奇妙な形状が印象的だ。
     「駅に寝たりしながら」というのは、当時の藤原氏のいかにも厳しい生活ぶりを想像させる。「材料費無料ナイフ一本と友達に借りたカナズチで作った」という「音具」で「一月の雪の降った畑の中でコンサートを開いた」との記述も『図録』に掲載されている。これらはまだ「音具」という用途(「音」が出る)を備えていたが、藤原氏は次第に用途のない(「音」が出ない)「音具」を作るようになった。
     お金をかけない、手間をかける、という印象を受けるこれら多数の「音具」のことを、藤原氏は、ブルーノ・ムナーリが名付けてくれた「リキアーミ」(richiami 鳥の呼笛、鳴き声という意味のイタリア語)と呼ぶようになった。それら小さくて不思議な立体造形物の数々は、私には、どんな状況下でも「音楽」や「音」を忘れない藤原氏の姿勢や思考の現れであり、藤原氏の「音楽」や「音」の触媒であるように感じられて、とても勇気づけられる。
     こうして作った「リキアーミ」やドローイングや版画はイタリアのコレクターにコレクションされたものも多かった、と聞いている。大手スーパーを経営するパトロンもいたようである。
     ここに、『図録』から、45点からなる極小の「richiami『こどものための音のレッスン』を掲載してもらう。こういう造形は類例がないと思う。
  •  数点展示されていた肥瘦のない細い線で描いたドローイングも美しい。


    「Chapter 3 音の蒐集家」

     この章では、実物大の、人間の肩から上の(おそらくは藤原氏自身から型取りした)形状をした立体(「ニューラルシステム・ダミーヘッド・マイク」)に迎えられる。頭部に藤原氏の耳から型取りした黒い耳が四つ付いていて、鼻のあたりの二つの耳が異様さを醸し出してインパクトがある。鼻の二つの耳によって左右だけでなく前後の音像の定位が飛躍的に向上した、という。バイノーラル・マイクにもダミーヘッド・マイクにもそれなりの歴史があるわけだが、藤原氏はその歴史に参入したわけだ。
     1988年に帰国した時、藤原氏は“ウォークマン”を全く知らなかった。1979年に発売され、あっ! という間に世界に広がった“ウォークマン”だが、イタリアの山奥にそんな情報は届かなかったらしい。
     “ウォークマン”を装着して「音」を聞いた藤原氏は仰天し、早速録音機能付きの“ウォークマン”を入手して活動を始めたが、やがてマイクに飽き足りなくなり、一年足らずで耳が四つ付いたマイクを自分で開発製作してしまったのである。「天才」の面目躍如であろう。
     そもそも、藤原氏は何故“ウォークマン”に仰天したのか。藤原氏は、1㎤ に満たない空気を介しているものの、立体的な「音」が直接脳を振動させている! と感じたのである。「音響標定」時代の数々の「音具」、その“取っ手”からの振動ということを思い起こせば、藤原氏の感じ取り方が一貫しているのは明らかだ。
     展示されていたヒト型マイクは、青(1989年)、緑(1992年)、紫(1992年)の三つ。それぞれ頭部に耳が四つ付いている。緑と紫のマイクには高性能のビデオカメラが内蔵されている(青のマイクでは頭のテッペンにビデオカメラを固定することができた)。このマイクでさまざまな「音」の録音と映像撮影とを世界各地で行なったのだから、録音された「音」の数は膨大だろう。その時期の活動がこの章で示されている。
  •  また、同じ時期、藤原氏は奇妙なものを次々と作り出した。それらのうち、「耳型スピーカー」「点滅キノコ」「振動スティック」が展示されている。また、市販された二つの耳のついた小型のバイノーラルマイク、それにビデオカメラを内蔵した「藤原マイク」、コーネリアスとの協働を示すCDやTシャツ、ボルネオでの録音作業を示すビデオ映像、市販されたVHSビデオ「MATING」(昆虫の交尾を音と映像で捉えているビデオ)なども展示されている。
     左右の耳に聞こえる音がそれぞれ断続状態にできる「点滅キノコ」は観客がヘッドホンを装着して操作することができたが、他は展示のみ。マイクを使ったデモンストレーションさえないので、多くがただの“抜け殻”に感じられる。予算の問題もあろうが、今後に課題を残した。
     ここでは「振動スティック」が1989年にはすでに作られていたことに注意しておこう。
     自ら作り出した特別なマイクと機材を運搬して藤原氏は世界各地に赴いた。多くのお金が必要だった。危険な目にもあったという。そのようにして、無数の音源と映像が蓄積されていった。


    「Chapter 4 オトキノコ」

     無数の音源と映像が蓄積されてきた時、藤原氏はそうした「音」の数々を、人々と共有する場を「お店」を作って実現しようとした。
  •  「オトキノコ」は、藤原氏が2003年4月に京都二年坂に開いた「音」を売るお店である。そこでは、無数の音源と映像の中から精選された多くの「音」と映像が「まんじゅうを買いに行くみたいに」買えた。シアターやカフェも備えたお店だったらしい。アートディレクションを祖父江慎氏、お店で「音」を探すための「ケンサクくん」のシステムデザインを岩井俊雄氏が行った。祖父江氏デザインの帽子やエプロンを身につけて藤原氏自らお店に立った。が、その年のうちに閉店を余儀なくされた。その事情を私はつまびらかに把握していない。

     この最後の章では、「オトキノコ」のチラシなどの資料やグッズ、「ケンサクくん」などが展示されていたが、やはり“抜け殻”の印象は否めず、「振動スティック」を発展させて、2007年に商品化した「dayon」(ダヨン)をつまみながらヘッドホンを装着すれば映像と「音」とを体験できる“コーナー”が“救い”になった。
     この体験コーナーで気づいたことだが、藤原氏が作り出した「ニューラルシステム・ダミーヘッド・マイク」は、前後の音像の定位に優れている、と言われている。なのに、ここで聴いたさまざまな「音」は、後ろから前へ、あるいは前から後ろへと移動していく「音」が少なくて、マイクの特性が生かせていない、と思う。例外的にボルネオのジャングルの川面を舟でくだりながら録音・撮影したものは、周囲のジャングルからの鳥や動物の鳴き声が前から後ろへと移動していくわけで、その映像とも相まって、その臨場感、空気感は格別だった。
  • これに比べれば、たとえばサイのおならの音などは、確かに藤原氏の虚を衝く発想を伝えてくるし、カメラやマイクの性能の良さを示すものだし、じっとオナラを待ち続ける持久力にも関心するし、サイのオナラの「音」など、生涯、まず聴かないだろうし、ましてサイのオナラの「音」にさわることなど金輪際ないだろうから、すごーい、といえばすごいのだが、なんだか騙されている気もしてくる。“一発芸”みたいなもので、何度も繰り返し聴きたい、見たい、というものではないかもしれない。それは昆虫の交尾の「音」なども同じように感じる。が、サイがオナラをしながらマイクの後ろから前へとマイクの横を歩いていくというような音や映像だったら、その「音」の威力は絶大だっただろう。
     機材の重さや数などの問題から、マイクを一箇所に固定せざるを得ない事情があって、微細な音、奇妙な音に向かわざるを得ないところもあったのかもしれない。その結果、世界にはさらに微細な「音」がいっぱいで、人間には聴き得ない、触り得ない「音」が無数にあるに違いない、ということに思いが至るが、藤原氏はそうしたことを、ユーモアのオブラートでくるませている。
     また、ヘッドホンやイアホンで再現された「音」を聴くというのは、人々をひとりひとりに分断することでもあるわけで、“受け手”を消費者としての立場に甘んじさせてそれを固定化する側面もあるように思う。聴くこと、さわることを一層能動化する「音響標定」のような仕組みづくりが必要だったのかもしれない。

     最後の壁に、2018年作のレリーフの「リキアーミ」が4点壁に展示されていた。思いがけない大きさだった。

     会場を巡りながら、拙冊子で田中孝道氏が紹介してくださった若き日の藤原氏から田中氏への書簡の一節が繰り返し頭をよぎった。手紙の日付は1971年4月8日。

     「(略)。僕の仕事に意味があるとすれば、我々にキャッチ出来得ないものに向かって、音を出すべく行動し(労働・行為)、出された音を一つのサインとして、両極に向かって、逆流する二つの流れ(White motion)に触れるサインとしてあると思います。この仕事を「ECHO LOCATION」(音響標定)と名づけます。(略)」

     「音」に関心のある人には必見の展覧会。東京でもやればいいのに。東京都現代美術館とかが、、、。頑張ってほしい。

    (2024年10月24日、東京にて)


    「藤原和通―そこにある音」

    会期:2024年9月21日(土)~11月10日(日)まで
    開催時間:9時から17時
    ・9月28日(土)、10月26日(土)は19時まで夜間開館
    ・いずれも入館は閉館30分前まで
    *8月9日、16日、23日、30日の金曜日は21:00まで開館
    休館日:9月30日(月)、10月7日(月)、15日(火)、21日(月)、28日(月)、11月5日(火)
    会場:岡山県立美術館 地下展示室
    観覧料:一般:350円、65歳以上:170円、大学生:250円、高校生以下:無料

    公式HP:https://okayama-kenbi.info/okabi-20240921-fujiwara/

    写真1:図録より、最初期の「リキアーミ」の写真、1977年、藤原和通撮影
    写真2:図録より、45個セットの小さなリキアーミ、時期不詳
    写真3:図録より、耳型スピーカー(左)と振動スティック(右)、いずれも1989年
    写真4:図録より、オトキノコ
    写真5:図録より、シロサイのおなら、2002年
  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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