そして今日は、「TOKYO 2021 un/real engine 慰霊のエンジニアリング」展を見物してきた。会場の戸田建設のビルは取り壊されて超高層ビルになるのだそうで、解体前に建築と美術の展示をしている、と聞きつけたのだ。建築の展示はすでに終わっていて、私は訪れていない。今は美術の展示中だというので、見物に行ったのである。この展覧会のキュレーションをした若い黒瀬陽平氏の活発な活動ぶりは、私のような者にも伝わってくるが、詳らかにはしていない。黒瀬氏への興味もあった。
会場は二つに分かれ、「Site A」には、中谷芙二子『水俣病を告発する会 テント村ビデオ日記』(1972年)、1975年の寺山修司による市街劇『ノック』“上演”に際して配布された地図、をはじめ、梅沢和木氏やカオス*ラウンジの新作など19作家の作品が配されていた。それぞれ興味深く見たが、ア ヤ ズ(飴屋法水)氏の『 ニシ ポイ 』(2005年〜2019年)が印象深かった。
作家当人が会場で体を壁に預け足を投げ出して座り続けて身じろぎひとつしない。声をかけてみるが、当然のように応答はない。私は実見していないが、2005年に東京・元麻布のP-houseで行われた『バ ング ント』展で、この人は閉じた箱の中でその会期のほぼ一ヶ月間を過ごしたのだという。今回の『 ニシ ポイ 』はその『バ ング ント』の変容のようにも、ネガ・ポジの関係にあるようにも見えた。
奥の小空間の壁に直接書いて、さらにそこを何度も擦った手書き文字の群れ(麻原彰晃がしたらしき発言内容)、「日本がなくなり、大変残念です」とループする麻原彰晃のものらしき音声、壁に貼られた死刑囚の“扱い”についての文書(法律?)、小ぶりの二つのモニタの映像。
座り続けるア ヤ ズ氏のそばには、東京拘置所の処刑場の「落とし板」の大きさで剥がされた床、その真上の天井にも同じ寸法で穴、剥がされた床には骨壷が置かれている。そして壁や床には手書き文字の“メッセージ”(あるいは“ステートメント”)。
これらア ヤ ズ氏の作品が、2018年に死刑が執行された麻原彰晃や死刑制度を正面からとりあげているのは明らかだろう。オウム真理教事件は1995年だったか。
もう一つの会場「SiteB」の作品群も興味深く見た。が、正直、なんだか「美術」を見た気がしない。頭が硬くなっているのか?
疲れてしまって、予定していた「岸田劉生展」見物は先延ばしすることにして、帰宅した。
帰宅したら、文化庁が渦中の「あいちトリエンナーレ」への補助金を出さないと決めた、との報。文化庁長官は宮田亮平氏。この人は東京芸術大学の学長だった人だ。しかも本来は金属彫刻の作家。そんな人が、こんなとんでもない決定を許したわけだ。私は言葉を失った。
2019年9月26日、東京にて