赤瀬川原平、若き日のコラージュ作品が並ぶみたいだよ、といつか誰かから聞いたのを思い出して、国分寺、兒嶋画廊に出かけた。
ゲンペイさんのコラージュ作品をあまり見たことがなかった。これからだって滅多になさそうな貴重なチャンス、逃してしまってはもったいない。
あ、ゲンペイさん、とか書いているけど、私、もちろんゲンペイさんに会ったことなど全くない。一方、会ったことも話したこともあった中西さんや高松さんのことは、ナツユキさんとかジローさんとか言わない。なのに、なぜか、ゲンペイさん、とつい呼んでしまう。理由はきっといろいろあるのだろうが、深く考えたことがない。ま、当方の親しみや敬意の気持ちを込めたいのだろう。ゲンペイさん、で堪忍してほしい。
で、そのゲンペイさんのコラージュ作品であるが、実物を前にすると、驚くほど繊細かつ丁寧に作られてあるのが分かって、なるほどなあ、と感じ入った。優れた人は、何をやっても最初からちゃんと水準以上のことをやってしまうのだ。
画廊の人の説明によれば、今回会場に並べられた19点のコラージュ作品は、赤瀬川夫人・尚子氏の所蔵。1971年に刊行された限定200部の作品集=『絵次元あいまいな海 赤瀬川原平』(大門出版)に収録された12点のコラージュ作品のオリジナルが制作されたのと同じ時期の作品だろう、とのことである。だから、制作年を1960−1963としてあるそうだ。
続けて画廊の人は、くだんの作品集に収録されたもののオリジナル作品は、その後すべて所在が分からなくなっている、と言った。(が、帰宅して、手元にあった千葉市立美術館での「赤瀬川原平の芸術原論展」(2014年)のカタログを見てみると、その「出品リスト」には、「あいまいな海」として8点の記載があり、そのうちの6点は名古屋市美術館、2点は千葉市立美術館の収蔵と明示されている。が、ここではこの件を詮索しない)。
会場には、その作品集『絵次元あいまいな海 赤瀬川原平』も置かれていたので、中を見せていただけますか、とお願いすると、快くお許しをいただけた。一枚一枚シートを広げ、ゆっくり見入ることができたのは、感激であった。
『あいまいな海 赤瀬川原平』から目を上げて、展示されているコラージュ作品を改めて見ていると、当時のゲンペイさんを支えていたのが、コツコツ作り続けられていたこれらのコラージュ作品だったように思えてくる。というのは、当時のゲンペイさんの活動の激しさを想像しての私の勝手な思い込みかもしれない。しかし、「読売アンデパンダン展」、「ネオダダ展」、そして「ハイ・レッド・センター」へと、めまぐるしく続く発表活動の渦中のコラージュ作品群である。特別な意味合いがなければこれほど多くのコラージュ作品が作り続けられることはなかっただろう。
作品:1960-1963コラージュ、ドローイング、紙、個人蔵
つづく→