長さんは、少年時代には野球など体を動かすことの方が好きで美術には関心が少なかった、と言うのだが、高校入学後、美術に取り組み始めた。周囲には東京芸大に進む者もいたが、長さんは進学せず地元・足利で働き始めて現在に至っている(1971年以降はフリーでの仕事)。
次の部屋の最初に展示されている『風景』(1952年)は、手製のキャンバスに隣の家との境界の樹を描いた、と長さんは言った。色感の良さを伺わせるとともに、すでに「領域」とか「境界」という問題意識の所在が見え隠れしている。
高校卒業後、改めて美術に向かい合おうとする自分を確かめるかのような『牛の頭がい骨』(1954年)では形態把握ののびやかさをはじめ確かな資質が示されている。
同じ部屋に高校当時の美術の先生の絵や若き日の仲間たちの作品が展示されているのも、長さんを豊かに照らし出してくれて出色の企画だ。
転職後の『看護人』のシリーズ(1963〜1965年)が『ポケット』のシリーズ(1965年〜)に展開していく様子を読み取ることができるのも興味深い。
『ポケット』のシリーズは明らかに長さんの転機をなしており、『ピックポケット』として現在に至るまで繰り返し展開されている。
1969年から1973年あたりに繰り返し試みられるイベント・パフォーマンスの取り組みや、屋敷と東京の画廊とを結ぶ複合展『無題』(1971年)などインスタレーション(ただし、当時この用語はない)への取り組みも注目される。
また、『視床』のシリーズの原型といえるドローイングは1971年にすでに現れ出ているし、『原野2』は1973年、同年には『点展』が開始されている(ちなみに『原野1』は長さんのパフォーマンスの記録映像を集めたものということである)。長さんの活動の原型はこの時期に形作られたようだ。
長さんは、ご長女の花子さんがダウン症であることを公言してきた。花子さんが、自分をどれだけ豊かにしてくれたかを度々語られる。近頃では、花子さんが織った布との共作の『ピックポケット』や、先の西澤氏との共作など、障がいある人との共作や、足利の銘仙を取り込んだ作品なども展開している。
他にも『笑い続ける二つの州の間で』のシリーズ、『平・面・体』のシリーズなど、見応えたっぷりの展覧会である。
展示されている各種資料類(グループVANの冊子類はじめ、藤原和道『音響評定5』についての雑誌記事、『点展』ポスターや冊子、『白州・夏・フェスティバル』のポスターや雑誌記事、長さん作のモニュメント関係資料など)の公開も嬉しい。ぜひ行かれると良い.
(2018年10月31日 東京にて)
公式HP:http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/index.html
11月4日まで