家人が東京・宝塚劇場のペア招待券を入手して、あんた、タカラヅカみる? と言うので、おう、と見物に出かけた。快晴の午後、久しぶりの銀座。
開場までしばらく時間があったので、軽食でも、とぶらぶら歩いていたら、7丁目「ギャルリーためなが」のウィンドーに、写真のような、いや絵具で描いたような、「ためなが」なのだからきっと絵ではないか、とそういう作品が数点飾られているのが目にとまった。「ロレンツォ・フェルナンデス展」とある。早速、中に入って壁面の作品群を見たが、やはり絵か写真か判然としない。額にガラスはなかった。目を近づけて何度も確かめるが分からない。仕方なく、デスクに向かって仕事中のスーツ姿の女性に尋ねてみると、アクリルと油絵の具と併用して描いたものです、と言う。手の痕跡はほとんど認められない。1970年生まれのスペインの作家、とパネルに説明されている。なるほど、スペインか、と妙な納得の仕方をしてしまった。それにしても手仕事なら、すごい集中力だ。
明らかに写真をもとにしている。被写界深度の浅いカラー写真。ピントのあったところとピンぼけの領域との対比、それを超絶技巧で再現している。色の扱いも巧みである。とは言え、それ以上の感動はない。1970年代初頭にアメリカのチャック・クローズやドイツのゲルハルト・リヒターなどの“スーパーレアリズム”が日本に紹介されたとき、学生だった私が受けた衝撃のようなもの、それはすでに失われている。あの頃は、なぜあたかも写真であるかのような絵をわざわざ描かねばならないのだろうか? と結構深刻に考え込んだものだ。やがて、“ポップ・アート”という括りを知って、“スーパーレアリズム”はその変形のように感じられ、これらがどうやらデュシャンの「レディ・メイド」あたりに源泉がありそうだ、と見当をつけるようになるに及んで、少しは納得、整理できたのだった。そうしたことが懐かしくはある。が、それ以上のものではない。またか、と思ってしまうのだ。にもかかわらず、思わず知らずあれこれしつこく観察してしまったのは生来の貧乏性と言うべきである。もとになる写真が、人形などを配して構成された物語性を備えたものなのが、この人らしいのだろう。そして、なかなかここまで描けるものではない。
思わずこの画廊で時間をかけてしまったので、食事の時間がなくなってしまった。しょうがないので蒸しパンなどをデパ地下で買って非常食にし、劇場に入った。
つづく