それだけではない。私が訪れたウッジのあの美術館は世界で二番目の「現代美術館」で、その設立のためにストゥシェミンスキー達が尽力したこと、ストゥシェミンスキーは第一次世界大戦で片脚と片手を失って、松葉杖を離せなかったこと、彫刻家のカタジーナ・コプロという人が妻だったこと、娘がいたこと、スターリニズムの嵐の中で決して節を曲げなかったこと、などなど、この映画をみるまで全く知らなかったのだ。うかつなことである。ウッジに美大が設立されるに当っても、ストゥシェミンスキーが大きな役割を果たしたという。このことは映画のあとに購入したパンフレットで知った。
“史実”を説明するのは映画の役割ではない。なのに、映画からこうしてストゥシェミンスキーのことを知ることになった。ありがたいことである。ストゥシェミンスキーのアトリエや美術館の場面では、置かれている作品や家具も、かなり「らしく」再現されていたし、コプロは一度も登場しないのに、その作品も巧みに挿入されていた。ストゥシェミンスキーの語る造形論なども、著書などから引用しているのか、空回りしていない。さすが、である。
冒頭、ストゥシェミンスキーは左利きか、と思った。野原で風景を描く二人の男女のシルエットが遠くから捉えられる。それが映画の始まりだ。男の方が左手に筆を持って描いている。あれが主人公のストゥシェミンスキー? と思ったのだ。
すぐに早とちりだと分かった。あれはストゥシェミンスキーの学生たち。野外での授業中なのだ。やがて分かることだが、ストゥシェミンスキーには左手がない。左利きのはずがない。あ、左利きだったかもしれないが、すべて右手でやらねばならない。
右脚もない。だからかどうか、野原の上の方から転がって下におりてくる。上で描いていた学生達もころころ転がって下りてくる。スカートの女子学生などパンツが丸見えになっても転がってくる。実に楽しそうだ。客席からも笑いが生じる。でも、笑いはここだけ。
スターリニズムがポーランドを席巻し始めていく様子が巧みに描かれる。野外での授業の次の場面はシンプルに時代の状況とそれに抗するストゥシェミンスキーの対比を見事に象徴的に示して、観客は一気に映画に引き込まれていく。
職を失い、資格を失い、収入を断たれ、絵具にも食べるものにもこと欠き、病気になっていくストゥシェミンスキー。まだ小さな娘、彼女との微妙な関係。画面に登場しないまま死んでいく別れた妻、ストゥシェミンスキーを慕う若者達。体制に逆らわず本音を隠して穏便にやり過ごす人々、…。
「重い」映画だ。
冒頭の授業で残像のことが語られる。残像は補色だ、と。人は認識したものだけを見る、とも。この映画全体の残像をワイダは問うているのだろうか。すでに細部を忘れてしまっていることに気付かされて、なさけない。
2017年6月15日 東京にて