数日後、その中の一つ、JR横浜線・相模原駅から徒歩で約20分のパープルーム・ギャラリーに行ってみた。「パープルーム予備校」という若者たちの集団のことは聞いたことはある。が、その実態は全く知らない。彼らの自主運営ギャラリーであろう。なぜそういうところで松澤宥展が開かれるのか?
たどり着いたパープルーム・ギャラリーは通りから丸見えで、壁が黄色、インパクトがある。意外なことに数名の先客があって壁や台に展示されている作品に熱心に見入っていた。展示は実にきちんとして、折り目正しい。
私が中に入ってざっと眺め、さて、と一つひとつ見入ろうとしている時、どうやってこの展覧会を知りましたか? とギャラリーを運営しているらしき若者に尋ねられた。全く知らない爺さんがなぜここに入って来たか、知っておきたいのだろう。
小伝馬町のギャラリーで松澤さんの初期作品や映像資料の展示があったでしょ? そこにここのことが掲示してあったの。小伝馬町のことはネットでたまたま見つけたんだけど、とっても面白かった。
ああ、そうなんですね。
実は、ボクは松澤さんのことはあまりよく知らないんだけど、ずっと気になってたし、ふと気づくと手元に松澤さんの資料がなんだか溜まってきていたこともあって、未発表の初期作品だっていうし、思い切って来てみたの。正直、そんなに期待してなかったんだけど、すごくちゃんとしてるね。どうして、松澤さんの展覧会ができたの?
僕たち、下諏訪の松澤さんのお宅に伺って、倉庫で見つかったたくさんのスケッチブック類を見せてもらったんです。
へえ! 若い人が、どうして松澤宥を知ったの?
「宥学会」で。
ああ、「美学校」でやってる、って言う「宥学会」。ボクも聞いたことある。「宥学会」に行ってたんだ。すごいね。
で、蔵の中にたくさんあるんですよ。ものすごくいっぱい。その中から選ばせてもらって、こんな風に壁を黄色くして。絶対に黄色がいいだろうと思って。
そうなんだ。作品を買って来た、ってことなの?
貸してもらって来ました。
へえ! すごい信頼関係だね。
て言うか、僕たちこんな格好で伺ったから。スーツ姿で行ったらかえって信用してもらえなかったかもしれないです。
へえ! ご遺族も太っ腹だねえ!
などと話が盛り上がり、肝心の作品を見るのがおろそかになってしまった。しょうがない。会期終了までにもう一回行く。
ざっと見た印象では、啓示以前の松澤氏は、とても熱心に様々な試行に取り組んでいたことがこの展示から伝わってくる。件の若者=梅津庸一氏によれば、啓示を受ける6月1日直前の5月末までスケッチブックに描き続けられていたことが確認できる、と言う。へえ!
梅津氏は、読売アンパンが中止になったことも、啓示と何か関係があるかもしれませんね、と言った。素晴らしい着眼だと思った。が、悪い癖。つい横道に逸れて、最近読んだ田中穣『前衛天国』(新潮社)の話をしてしまった。すると、傍の若い女性がスマホを検索し、1000円だ、と言った。
そんなことはともかく、展示されているひとつひとつがとても興味深い。コラージュと比べると、“手触り感”がダイレクトで嬉しい。これを読まれた方もぜひ行かれると良い。2月22日まで。
なんと、彼らは展示作品の冊子まで作っていた。すごいぞ、パープルーム。
(2019年2月8日 東京にて)
●Roonee247
http://www.roonee.jp/exhibition/room2/20190127212218
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