久しぶりに会った古くからの友人が、言うのだった。
このあいだ大阪でボルタンスキーの展覧会を見てきた。出張の限られた時間をやりくりして時間を作ってわざわざ行ったのに、実につまらなかった。あんなことなら、無理せずそのまま新幹線で帰って来ればよかった。
国立国際だっけ? と私。
そう。お前もいつか「画材図鑑」で、近美のゴードン・マッタ=クラーク展の時に書いてたけど、近頃、学芸員が余計なことをしすぎるんじゃないか? 雰囲気作りが過剰っていうか、作品の読み取り方を誘導しすぎる、っていうか。
そんなにひどかった?
ああ、そう思った。越後妻有のボルタンスキーはとてもよかったのに。
わかりやすそうなウケ狙いの展示のやり方を大学の学芸員課程とかで教えてるのかもなあ。だから、近美の高松(次郎)さんの時やマッタ=クラークの時みたいに押し付けがましくなるのかも。
お前にも責任があるぞ。
なんで?
大学で教えてただろ。
俺のいた部署では展示のことは教えてなかったよ。
いや、絶対に責任がある。
ないよ。
ごまかすなよ。
もう少しやり取りは続いたが、友人はムシの居所が悪かったのだろう。
大阪・国立国際美術館のボルタンスキー展の展示構成のどこに私の責任があるのか? あるわけがない。
で、帰宅してから、国立国際美術館の「ボルタンスキー展」について調べてみると、大阪での展示構成はボルタンスキー自身が来日しておこなった、とあった。つまり、どんなに少なく見積もっても、微調整など最終チェックはボルタンスキー自身によってなされ、オッケーが出された、ということであろう。
また、この展覧会は大阪・国立国際美術館だけでなく、6月から東京・国立新美術館、10月から長崎県美術館でそれぞれ開催される、との情報も得ることができた。その情報では、ボルタンスキーは、東京会場でも自ら展示構成に関わるようである。なぜなら、告知では、東京展初日の6月12日にボルタンスキー自身による「アーティスト・トーク」が行われるので、この予定から想像すれば、最低でも微調整や最終チェックはボルタンスキー自身が行う、と考えるのが自然だろう。長崎のことは確認できていない。
高松さんやゴードン・マッタ=クラークは亡くなっているので、近美での展覧会の会場構成は明らかに学芸員の手によるものだった。しかし、ボルタンスキーは存命で、自ら展示に関わっているわけだ。で、あれば、友人の感想はまた別の意味を帯びることになる。なるが、深入りしない。
いずれにせよ、東京展をみてから私の責任論のあれこれも考えたい。
余談ながら、近美のゴードン・マッタ=クラーク展の時には、あんまりだ、と思って、私は納税者としての“資格”をもってして担当学芸員宛に抗議の手紙を書いて送った。予想してはいたが、応答は一切なかった。とりわけ、出品されていた映像の総時間と開館時間とを比べると一度訪れるだけでは出品作品を見終わることが全く不可能な構成であること、おまけに、多くの映像作品を見るためにはほとんどが立ったままの状態を強いられ続ける会場作りだったことについては、強く抗議したつもりだ。何らかの応答を期待しているとも記したのだった。そうした抗議が想定内だったからか、入場二回目以降のチケット料金割引などの配慮はなされてはいたものの、それを差し引いてもなお、あの時の展示はひどすぎた。他にも言いたいことが次々に蘇る。また腹が立ってきた。
それはさておき、このごろ意識的に若い人たちの作品に触れようとしている。
10連休前には、「東京インディペンデント2019」を見た。東京芸大陳列館を会場にしたこの展覧会は、そのゴチャゴチャ感が結構面白かった。出品者数634名、作品数は1000点に及んだという。運営を担った方々はさぞ大変だっただろう。来年以降も継続するかどうか。
五反田の「カオスラウンジ・ギャラリー」というところにも行ってみたし、相模原のパープルーム・ギャラリーにも足を運んでみた。普段行かないギャラリーにも出かけるようにしている。これが結構面白い。爺さんには良い刺激になっている。ただし、まだ新参者だ。これらの情報源はインターネット。SNSと呼ばれる情報を“盗み見”すると、今まで全く知らなかった世界が広がっていることを知って、驚かされている。
また、関根伸夫氏の訃報には驚いた。時代が変わって行く。
(2019年5月24日、東京にて)