藤村克裕雑記帳
2019-02-08
  • 色の不思議あれこれ121
  • 小伝馬町と相模原の松澤宥 その1
  •  気晴らしのはずが、“ネット・サーフィン”というものについ夢中になってひどく疲れてしまうことがある。面白い情報に出喰わして、とても得をした感じで嬉しくなることもある。
     先日は、小伝馬町で松澤宥(まつざわゆたか)の初期作品や映像資料などの展示をしているという情報をゲットした。
     松澤宥(1922年〜2006年)は、ご存知の通り、文字による文や単語を用い、それを紙や布に手書き(あるいは印字して)示したり、自ら読み上げたりするパフォーマンスをし、その様子を写真などで示したりする作品で内外に知られている。
     その文字による作品は例えば長い白布に、毛筆の手書き、縦書きでこう書かれている。

     人類よ消滅しよう 行こう行こう(ギャティギャティとルビ)反文明委員会

     私は、確か1971年、「毎日現代美術展」会場入り口に下げられたこれを実見しているが、なぜこれが美術なのか? とちんぷんかんぷんであった。以降、
    様々な展覧会で氏の作品に出喰わしてきたが、決して氏の作品の熱心な観客とはいえなかった。あ、一度、展覧会で一緒になったこともあったはずだが、自分のことに精一杯で、実見できたはずのパフォーマンスの現場にさえ行けなかった。 
     で、その“ネット・サーフィン”でゲットした情報をさらに詳しく見ていくと、実に短期間の展示で、ゲットした時点でもう始まっていた。焦る。なんとか終了前には行けそうだったので手元の紙にメモをとった。ルーニー・247ファインアーツ。「松澤宥 概念芸術以前2」「美学校の記憶 成田秀彦」。1月29日〜2月3日。行って実に得をした。
     そう大きなスペースではないものの、横長の“ホール”壁に初期の油絵の小品が一点、コラージュ作品らが六点。そして部屋が二つ。そのひとつには壁三面にそれぞれ大きくプロジェクションされた映像資料など。別の部屋には成田秀彦氏の撮影によるかつての美学校での写真や美学校のポスター。
     これら展示総体の企画は長沼宏昌氏。同氏は、松澤氏のパフォーマンスを撮影する機会があって、それ以来、松澤氏と密接な関係が続いてきたらしい。氏は次々に会場を訪れる人々に展示作品の説明を実に丁寧に、そして精力的に繰り返しおこなっていたから、私は“聞き耳頭巾”。特に壁に大きく映写されるビデオ映像についての氏の説明は貴重であった。
     映像プロジェクションの部屋には椅子が置かれ、座って中央壁に、松澤氏が活動拠点にしていた下諏訪の祭礼などの様子。長沼氏自身による撮影・編集による。松澤氏の活動にとって、この地方の信仰や祭礼がとても重要だったことがよく示されていた。左右壁にはあの名高い「プサイの部屋」の映像。左側に部屋の中をあちこち移動しながら長沼氏自身がビデオ撮影した“閉鎖”前の様子、“閉鎖”後の空っぽになった様子。右側に“閉鎖”前の「プサイの部屋」の細部を撮影した写真をズームアップするなどしながら動画に構成した映像。それぞれを丹念に見ると、かなりの時間を要したが、実に面白かった。「プサイの部屋」には、1964年6月1日に「オブジェを消せ」という啓示を受ける以前に松澤氏によって作られた数々の物品がそのまま“安置”され続けてきたようだが、建物の老朽化もあって、近年物品たちを別の場所に移して、部屋は“閉鎖”されたのだという。この部屋は松澤氏のアトリエであり、「虚空間状況探知センター」としての活動の拠点でもあった。映し出される細部が実に興味深い。覗き趣味では悲しい。
     
  •  映像プロジェクションのない残りの壁にはワープロ文字の“松澤マンダラ”も展示されていた。先の「ギャティギャティ」が『般若心経』の一節のサンスクリット読みであることから想像されるように、松澤氏は密教から多くのインスピレーションを得ている。3×3の曼荼羅の構造がたびたび示されるし、また9×9の81文字で文が示されることも多々ある。
     展示全体を通して、松澤氏と神道と密教、そして数学や物理学、地球科学などとの関係が巧みに示されていた。
     別室の「美学校の記憶 成田秀彦」の写真展示の中にも、当時「最終美術思考工房」の講師だった松澤氏が複数登場していたが、その中の一枚に写っていた黒板には以下の英文が書かれていた。
     
     All human-beings! Let’s go! Let’s Vanish! Gate! Par-gate!

     横に細長いホールの壁に展示されていた油絵やコラージュ作品も、丹念に作り込まれている様子が間近で観察できて、興味が尽きなかった。貼り足してコラージュしていくというより、既存の写真図版などがくり抜かれて作られた図像が貼り込まれているのが印象深かった。“啓示”以前の松澤氏の様子の一端が感じ取れる。そこには、実に誠実な姿勢を垣間見ルことができた。
     また、会場には、2月2日が松澤氏の誕生日であること、この2月には同時多発的に松澤作品の展覧会が各地で開かれることが告知されていた。その情報を手早くメモして控えた。

    つづく→
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  • [ 藤村克裕プロフィール ]
  • 1951年生まれ 帯広出身
  • 立体作家、元京都芸術大学教授の藤村克裕先生のアートについてのコラムです。
  • 1977年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
  • 1979年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。
  • 内外の賞を数々受賞。
  • 元京都芸術大学教授。
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