11月3日(文化の日)はキンビ(東京国立近代美術館)など国立の美術館・博物館が無料になる、というので、しめしめと、竹橋のキンビに行って開催中の企画展『窓展』や鏑木清方の特別展も含む全ての展示を見て、その感想を苦労して書いた(打った)のだが、「保存」を忘れた。当然、全文消えてしまった。
もう一度書けば(打てば)いいのだろうが、何を書いたか、もう思い出せない。でも、常設展の一部でいわゆる「児童画」が展示されていたことは強く印象に残っていて、もう一度常設展の「児童画」だけでも時間をかけて丁寧に見たい、と思っていた。
で、行ったぞ、キンビ。そうしたら、65歳以上は無料、というのでびっくりした。恥ずかしいような気もしたが、自動車の運転免許証を示して無料で入場した。
「児童画」の展示は3階のフロア。戦争画の部屋の次の部屋の一角に、北川民次の絵や各種資料とともに展示されている。
キンビと「児童画」というのが意外で、そして素晴らしい。思ってもいなかったキンビのフトコロ、その深さを感じさせてくれる。いつも悪口ばかり書いてごめんなさい。
と、思ったのだったが、「資料」として「保存」されている、と説明文があった。「作品」ではなくて「資料」? 「収蔵」ではなくて「保存」? と、ちょっとフクザツな気分に陥った。
でもいいの。「資料」であろうが、「美術品」であろうが。「保存」されてきていて、こうして公開されているんだから。このこと自体がすごい。これからもずっと「保存」し、他の「資料」も公開してほしい。
キャプションにはこうあった。「日本の児童画/1954—67 昭和29—42年/鉛筆、オイルパステル、水彩、その他・紙/日本放送協会寄贈」。
展示されていたのは、四つ切りほどの大きさの画用紙に横位置で描かれた児童の絵が、縦に5枚ずつ、横に6列びっしり、計30点。作者や学年などの情報は一切ない。ないが、それぞれすごい密度で迫って来る。
とはいえ、既視感がある(昔の「児童画」だから既に情報化されつくしていて、既視感は当たり前といえば当たり前だが)。私は、小学生くらいの頃の教科書に載っていた絵や、田舎の街の展覧会などで金紙や銀紙が貼られていた絵(賞を得た絵)の“パターン”を思い出していた。正直に書くが、小学生の私は、どうしてああいう絵が教科書に載ったりコンクールで賞をもらったりするのか、つまりは、なぜ“良い絵”として褒められるのか、全く理解できなかった。小学生の私には、ものや世界は“あんな風”には見えなかったのである。だから、私は、ああいう絵を描いたことがない。(コンスタブルやロイスダールとかが描く絵なら、ああ確かにこんな感じ、と思えたのだったが、当然、私にそのような絵が描けるはずはなかった。)
つづく→