そういえば、先日の夜、電話の呼び出し音が鳴った。滅多にないことである。出れば、高校の時からのトモダチ。気の合う連中が札幌で集まって飲んでいるらしい。みんなご機嫌になって喋っているうちに、今回は私に電話してみた、ということのようだ。懐かしい連中が一人ずつ電話口に出て、それぞれが、あーだのこーだの言ってくる。ろれつが怪しいのも混じっている。
一人が、「画材図鑑」を読んでるからな、と言った。熊谷守一の映画を見たぞ、お前は見たか?
見てない、と言うと残念そうな気配が伝わってくる。お前の文はよくわからないところがあるけど、読んでるからな、と言って次に代わった。早く次を書け、ということだろう。いや、読みにくい、ってことか?
さぼっていたのは事実だけど、ずっと、うまく書けないのだった。
府中美術館の長谷川利行。まとめて長谷川利行を見たのは初めてだった。面白かった。でも、どう面白かったかを書こうとすると行き止まった。
上野の都美館と六本木の国立新美術館で見た合わせて10点ほどのセザンヌ。どれもムッチャ面白かったが、これも、どう面白かったかを書こうとすると無理だった。
都美館で振り向きざまに出くわした巨大なボナール。すごかった。でも、どうすごかったかを書こうとすると時間だけが過ぎていった。
練馬区立美術館の池田龍雄。見事だ、と思った。でも、どう見事だと思ったかを書こうとすると、書き方がわからなくなった。
他にもいっぱい見たし、何人もの大事な人に会った。訃報にもたじろいだ。どれもが文にはならなかった。
高校からのトモダチに限らず、思いがけない人が、「読んでる」と言うことがあって、たじろぐ。セキニンというものを、少し感じる。うっかりしたことは書けない、とも思う。というか、せっかく書かせてもらうんだから、もっとちゃんと書きたい、と思う。が、書けないのである。こうして書いてるけど。
散歩の途中で、日陰だけでは足りなくなって、冷気を求めて本屋に入った。なんと、沖縄の宇田智子さんの新しい本を見つけた。貧乏なのに、ためらわず買った。
宇田さんは、日本で一番小さな古本屋「ウララ」を那覇の“牧志の公設市場の向い側”でやっている人だ。私がやっているワガママ放題の古本屋は“小ささ”で言うと「ウララ」に勝てない。だから、日本で二番目の小ささだ、と勝手に思っている。私のお店には空調がない。夏は地獄だ。今年の早い梅雨明けが実にうらめしい。8月は全て休業することにしているが、7月・9月も休業にしたい。やるけど。
「ウララ」にも空調がないようだ。まぶい(=魂)が落ちて転がる暑さだろう。宇田さんは偉いな。すごいな。
宇田さん、とか書いているが、向こうは私を知らない。こっちは、遠くから宇田さんを“見た”ことはある。遠くからでも、目が鋭い人だ、と感じた。あれはやはり只者ではない。もう何年も前に、あるところで開催された古本屋講座。
宇田さんの本を買って、すっかり満ち足りた。散歩はそこでやめて、あとは帰路。歩くのは同じでも、明らかに気持ちが違う。
今度、「ウララ」に行ってみたい。宇田さんをチラチラ観察しながら棚づくりを学ぶのだ。ああ、ワクワクする。
と、ここで気がついた。『ゴードン・マッタ=クラーク展』についてはどう書くの? うーん、そうなんだよね。そこなんだよね。面白すぎるんだよね。
2018年6月30日、東京にて