全く知らなかったK・O・ゲッツ(カール・オットー・ゲッツ)という人の『1955年3月6日の絵画』。なんでもアンフォルメルの作家として登場し、コプラに加わり、クヴァドリブ(初めて知ったのでよく分からない)でもあった、と説明文にあった。幅広の刷毛やヘラを巧みに使って塗ったり、掻き取ったりして描いている。決然とした身振りそのものが伝わってくる。とはいえ、それは入り組んでいて、描画の手順が単純に読み取れる、というものではない。そこがまた面白い。
慣れ親しんできたつもりのロイ・リキテンシュタイン。彼の『タッカ、タッカ』。濃紺の色面を認めた時、黒から濃紺が飛び出してくるかのような新鮮な驚きを感じた。
ヴォルス・フォステル『コカ・コーラ』。フォステルは「フルクサス」や「デコラージュ」で知っていたが実物は数えるくらいしか見ていない。なので、とても興味深く見た。「デコラージュ」は、印刷物を貼り重ねて剥がしていく、という単純な工程ばかりでもなさそうである。もともと「音」を扱ってもいたようなのである。大きな作品だった。
プリンキー・パレルモ『四方位Ⅰ』は、逆に小さな作品。最近日本でみることができた同系統の作品に比べて、厚塗りで、マスキングテープの跡さえありありと認めることができた。その物質感が意外な感じだったが、またパレルモの別の側面を見たような気がした。
大昔、学生だった頃「ライプツィッヒ派」という「派」があることを知った。その一員だったというヴォルフガング・マットホイアー『今度は何』。ああ「ライプツィッヒ派」とはこういうものだったのか、と見た。が、一点で「ライプツィッヒ派」が分かるわけもない。
ヴィデオ作品のアンドレア・フレイザー『オフィシャル・ウェルカム』。現在の美術をめぐる様々な状況を踏まえたスピーチを装った“一人芝居”といった印象で、驚くことに、着衣を脱ぎながらそれは進行する。下着姿になって、やがて丸裸になり、ハイヒールも脱いでしまう。丸裸でしばらく喋り、もう一度ドレスだけ身につけて退場していく(ハイヒールはどうだっけ?)、というもの。英語だったし、気が気ではなくて字幕を読む余裕もなく、何を喋っていたのだったか、ほとんど集中できぬまま、次の人に席とヘッドホンを譲ったのだった。ダメなジジイだ。
そんなわけで、帰路、ポツポツ雨が降り出したが構わず、傘を使わずに駅にたどり着いた。
“勉強”になった。貧乏性も大事なのだ。
(2022年9月8日、東京にて)
ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション
●会期:2022年6月29日(水)~9月26日(月)
毎週火曜日休館
●開館時間:10:00~18:00※毎週金・土曜日は20:00まで※入場は閉館の30分前まで
●会 場:国立新美術館 企画展示室2E
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2
●主 催:国立新美術館、ルートヴィヒ美術館、日本経済新聞社、TBS、BS-TBS
●後 援:ドイツ連邦共和国大使館、J-WAVE、TBSラジオ
●協 賛:損保ジャパン、ダイキン工業、三井不動産観覧料(税込)
当日 2,000円(一般)、1,200円(大学生)、800円(高校生)
公式HP
https://ludwig.exhn.jp/works.html