1月4日。もう、お正月にも飽きたので東京ステーションギャラリーの「超絶技巧を超えて 吉村芳生」展に行った。年末に目にした新聞記事が動機である。不覚にも全く知らない人だったし、「超絶」をさらに超えるというその超え具合がどんななのかが気になったのである。ま、スケベ根性。
会場に足を踏み入れて、最初の自画像群などで、あ、場違いなところに来てしまった、と思った。正直に書けば、別に「超絶」じゃないじゃん、「超絶」じゃないのだから「超絶」の超え具合など観察しようがないじゃん、と感じたのである。ただ、作品の数は尋常ではない。また、一つ一つの作品は、丁寧で、ある水準の密度が実現されている。これはたやすくできることではない。ということは、そこを見て欲しい、と主催者は言っているのだろうか? そこに「描くこと、生きることの意味を問い直」して欲しい、というのだろうか?
会場に掲げられていたパネルで、作者は私とそう年齢が違わず、しかしすでに故人であることを知った。創形美術学校の版画科で学んで、故郷の山口県に帰り、ずっとそこで、鉛筆や色鉛筆だけを手に、写真をもとにした絵を制作し続けた人であることも知った。60歳を過ぎてから、1年間のパリ留学の機会を得たが、部屋からほとんどパリの街に出ずに毎日新聞紙に自画像を描いて過ごしたそうだ。
この人が若い頃、創形美術学校の版画科で学んでいた時期、同校の版画科では確か松本旻さんが教えていたはず。当然、教室で顔を合わせていただろう。というか、初期の作品群からは、松本さんからの強い影響を感じてしまうことが否めない。この松本さんからの影響のことに目を瞑ってしまうことはできないだろう。しかし、会場のパネルにそのことに触れた記述は、確か、なかった(あまり自信がないが)。カタログには何かの記述があるのかもしれないが、購入していないので、目を通せていない。
最初のフロアに展示されていた初期の作品群を、松本旻さんの作品の変奏と見るなら、そこに、あるみずみずしさを見て取ることができる、とは言える。
しかし、それに続く膨大な作品群は、正直、私には理解しがたいものだった。この人は一体何が面白くて、こうしてマス目を埋めていくことを繰り返し続け、あるいは新聞紙や自画像を(時にその組み合わせで)繰り返し描き続けてきたのだろうか? それはじつに膨大な時間を必要とする営みなのだ。
私が不思議に思えたのは、例えば自画像。写真の中の自分の姿を描き写しても鏡を見て描いても、画用紙に描いても新聞紙に描いても私にはその描きぶりは驚くほど同じに見えた。これは一体どういうことだろう? 絵について考えることをしたくなかった?
色々考えても、その「意味」が私には到底わからないのだから、あえて急いで答えを求めなくてもよいだろう。そのことは分かっているのだが、なんだかやりきれない思いに後ろ髪を引かれながら、 私は早々に会場を出たのである。
つづく→