『芸術新潮』誌3月号は谷川俊太郎特集=「さよならは仮のことば 追悼谷川俊太郎」。この雑誌が詩人を特集するのは珍しい。つい読み耽ってしまった。
読み耽ったその日からすこし経って、用事で、古くからの知人と南阿佐ヶ谷駅で待ち合わせた。無事に落ち合って、その人の家へと並んで歩き始めながら、じつは、去年、吉増剛造の本で「阿佐ヶ谷の谷川さんの家へ」という文章を見つけて、谷川俊太郎の『道順』という詩を頼りにしてこの通りの南側一帯を随分歩き回ったけど、彼の家を見つけることはできなかった、と話した。知人は、じゃあ案内しよう、と遠回りしてくれた。そのうち、別の話に夢中になっていると、あ、ここだよ、とその人は立ち止まった。
なんともあっけなかった。
「不思議にひくい木造のお家」と吉増氏が書いていたその家のたたずまいは、想像していたのとは全く違っていたし、「犬」の字を丸で囲んだ四つの「登録標」はもちろん、表札もなかった。これじゃあ見つからない。
その日はさっさと用事を済ませて、あかるいうちに帰宅した。そして、ずっとこたつの上に置いたままの『芸術新潮』誌を手に取って、つい、もう一度読み耽った。
この特集はよくできている。写真がたくさん掲載されていて、知らなかったことがたくさん書いてある。
最初に驚いたのが、「はかかった/ばかはかかった/たかかった」とはじまる「ばか」というタイトルの詩と一緒に、車の屋根から顔を出している若き日の谷川俊太郎氏を捉えた写真を大きくレイアウトしたページだ。キャプションに「1957年、質流れのシトロエン2CVを17万円で購入した谷川。『車に乗るのは生き甲斐だったし、自由の実現そのものって感じだった』と語った。」とある。
谷川氏は「はか」は買わず、「シトロエン」を買ったのである。その対比。シトロエン、17万円、と“脚韻”も気が利いている。
が、私が驚いたのは、当時、シトロエンを質に入れて、こともあろうに流してしまう人がいた、ということだった。質屋も大変だ(そっちかい)。
加えて、そのシトロエンのナンバープレートがヘンだ。「5ー13492」とある。この見慣れないナンバープレートの背後には、なにか重大な意味がありそうだが深入りしない。
当時の17万円は、今ならいくらくらいになるのか、との興味もわくが、これにも深入りしない。
ともかく、26歳の若者には「はか」を買うくらいの思い切った買い物だったにちがいない。編集者とデザイナーの意図はそこら辺にあるだろう。
この年に谷川氏は2回目の結婚をしている。
「終生、生まれたところで暮らし続ける人はどれくらいいるのだろう。」と始まる尾崎真理子氏の文章が素晴らしい。そのはずだ。この人は『詩人なんて呼ばれて』(新潮社、2017年)という本を書いている。綿密な調査とそれを踏まえた谷川氏へのインタビューとをまとめた素晴らしい本である。そんな本を書いた人だから、この『芸術新潮』誌でも谷川氏の歩みをじつに手際良く示している。珍しい写真が配されている。最初の妻・岸田衿子氏、2番目の妻・大久保智子氏、3番目の妻・佐野洋子氏が写り込む写真もある。その佐野洋子氏が『現代詩文庫109 続続・谷川俊太郎詩集』に「谷川俊太郎の朝と夜」という文章を寄せている、と尾崎氏の文中にあった。確かその本はウチにあったはずだ、と見つけ出せた。
佐野氏の文を読んでみた。
達者な文章である。この人は、谷川俊太郎氏のことを「谷川さん」と呼び、「ちんこい目」「少し横にのし出している鼻」「内側に唇がめり込んでいる口」「初老の皮膚」「ハゲ頭」「セカセカ」「バタバタ」「ハゲた小父さん」などと言っている。ズケズケと遠慮というものがない。もちろんそれだけじゃない。とても意味深長なこともほのめかしたり書いたりしている。そのあたりが達者さを感じさせる理由だろう。
当たり前だが、この『現代詩文庫109 続続谷川俊太郎詩集』には谷川氏の詩がたくさん載っている。それに加えて、佐野洋子氏だけじゃなく、辻征夫氏、佐々木幹郎氏、荒川洋治氏が文章を寄せている。
このうち、辻征夫氏は「(谷川氏は)小沢信男を師匠とした『余白句会』に辻征夫に誘われて加わった。」と尾崎真理子氏が文中に書いた人でもあった。その辻氏の「ラモーとぼくの物語」というタイトルの文章も読んでみた。すごいことが書かれていて、私は驚嘆した。抜き書きする。
「ぼくは谷川さんの詩に、とにかくいきなり出くわしてみたい。できれば作者の名もわからぬままに、詩というものに向き合ってみたいのだが、なかなかそういうわけにもいかない。いつだったかどこかの雑誌の誰かの文章に、短いことばのかたまりが引用されていて、何気なく読み始めて奇妙な感覚にとらえられたことがある。構文の脈絡のなさもさることながら、重複してからみあう季節感が頭が混乱するほど面白いのである。これは、と思ってもう一度読み始めたとき幻は消えた。俳句が五つばかり、並んでいるだけだったのだ。だがそうとは気付かず無防備に読み始めてしまったとき、ぼくは言葉に生で向き合っていたのではないだろうか。」
私には詩心というものがない。そのことを自覚しているから、古本屋で『現代詩文庫』を一冊ずつ買ってみたりもした。だから何冊も書棚にあって、こうして佐野洋子氏の文章もすぐに読めた。ついでに(失礼!)辻征夫氏の文章もすぐに読めたのである。
『現代詩文庫』は古本屋で百円だったら買う、でなければ買わない、と決めていたのに、手元の『続続・谷川俊太郎詩集』には鉛筆で「¥200」と古本屋のメモ書きがある。しだいに“欠番”を埋めるためにその規則を破るようになったのだ。一通り揃うまでなんだか落ち着かない。『現代詩文庫』に200番代が登場した時には絶望的な気持ちになった。以来、もう揃えることは諦めた。あ、話が逸れている。
何冊も詩の入門書を読んでも、私が詩心をはぐくめないのは、「言葉に生で向き合う」体験がないからだろうか、と思ったりした。
でも、例えば、俳句を俳句とも思わずに、「言葉に生で向き合う」のはいかにもむずかしそうだ。『現代詩文庫』を揃えるのを諦めたように、詩心の方もそろそろ諦めた方がいいのかもしれない、などと考えた。
次に、佐々木幹郎氏の「詩の匂い」という文も読んでみた。冒頭に谷川氏の「未定稿」という詩が引用されている。こんな具合だ。
「 私の書きもの机の上には、今夜もまた原稿用紙が白/い歯をむき出していて、その横にはマルス・テクニコ/の鉛筆もころがっているのである。それらのもたらす/えたいのしれぬものに私はまだ倦んでいないのだが、/これらの未定稿をこの先どのように遂行し得るかにつ/いては、私はどんな目安もないのだ。 (「未定稿」)」
佐々木氏はこの詩の分析から始めるのだが、文中、「だから『私にはどんな目安もないのだ』と書かれていても、、、」と、冒頭に引用していた「私は」が、いつのまにか「私には」という引用になっている。おやおや、どういうことだろう。
気になって、同じ『続続・谷川俊太郎詩集』に収録されている「未定稿」という詩を見てみた。すると、この詩はタイトルを別にして急にフォントが小さくなって、1行に28文字、それが21行のフォーマットで掲載されていた。冒頭の3行はこんな具合だった。
「 書きつけたものを誰かに読んでもらいたいと思うその欲望は/ひとつの狂気だ。うずだかい書き損じの原稿用紙の 山 の 中 か/ら、未定稿を拾い出している私の眼は、どんな故買屋にも負け/」
「の 山 の 中 か/」と、ここはわざわざ半角ずつアキを作ってある。「故買屋」は「こばいや」と読み、盗品と知っていて買い取る行為、という意味のようで、恥ずかしながら、今回初めて知った。佐々木氏が引用したのはこの詩の末尾5行である。小さなフォントではこうなっている。
「 私の書きもの机の上には、今夜もまた原稿用紙が白い歯をむ/きだしていて、その横にはマルス・テクニコの鉛筆もころがっ/ているのである。それらのもたらすえたいのしれぬものに私は/まだ倦んでいないのだが、これらの未定稿をこの先どのように/推敲し得るかについては、私にはどんな目安もないのだ。 」
ご覧のように、ここでは「私には」となっている。
この詩=「未定稿」が収録されている『コカ・コーラ・レッスン』という詩集を私は持っていない。だから、初出時にどうだったのか、ただちに確かめることができない。佐々木氏の文意をワキのほうに置いてしまって、こういうことがひどく気になる。佐々木氏ほどの人がこういう書き損じをするだろうか。
荒川洋治氏の「青年の言葉」という文も読んだ。鋭い指摘満載の文だが、要約する力量が私にない。ぜひお目通しいただきたい。
それにしても豪華メンバーであった。すごいな。
佐野氏の文にはこういうところもあった。
「(略)
谷川俊太郎は茶色い細巻きのハッカ入りモアの煙をはき出し遠くを見ている。遠くといっても、隣の家の欅の木の枝とその間から見える空である。なかなか深淵な目である。さすが詩人の目である。初めの頃は、私はそういう目を見ると、尊敬と畏怖におののき、じいっと静かに心から誇らしく思ったのである。
(略)
谷川俊太郎が詩人の目をして、沈黙している時は絶対にその日の段取りを考えているのである。(略)」
谷川氏の家の隣に欅の木があったかどうか、確認を怠っていた。この文を書く(打ち込む)前に、もう一度行ってみようか、とも思ったが、もう“道順”を忘れているし、歩き回る元気もない。私は花粉症なのだ。今日は花粉がひどい。『続続・谷川俊太郎詩集』が出てからだって30年以上経ってしまっている。あたりの様相はまったく違っているはずだ。お隣の欅の木が今もあるとは限らない。
この『芸術新潮』誌で谷川氏の詩について書いている四元康祐氏の詩を集めた『現代詩文庫179』は残念ながら私の書棚では“欠番”であった。この人も『現代詩文庫』の世話になったようだが、この人の場合は、詩心をはぐくむことができて詩人になったようだ。うらやましい。
きょうで2月も終わり。あまりに毎日が早く過ぎて行ってぞっとする。
(2025年2月28日、東京にて)
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月13日)は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。太平洋戦争後の現代日本を代表する、国民的詩人と評価されている。
画像1:芸術新潮 2025年3月号 特集 さよなら仮のことば 追悼 谷川俊太郎 (新潮社)
画像2:芸術新潮 2025年3月号より
画像3:詩人なんて呼ばれて 谷川俊太郎/尾崎真理子(新潮社)
画像4:『現代詩文庫109 続続谷川俊太郎詩集』(思潮社)
画像:欅の木