かつて、おじいさんは山に芝刈りにいったし、おばあさんは川に洗濯にいった。いま、おじいさんがいくのは古本即売会や骨董市。おばあさんは連れ立って美術館にいく。
東京・六本木・国立新美術館で開催中の「草間彌生展」にも、おばあさん、あるいはおばあさん“予備軍”が多数押し寄せていた。男女を問わず若いひとたちの姿も目立った。平日の昼間。
チケット売り場に並ばねばならなかったとはいえ、中では比較的すんなりと見ることが出来て、とても満足して帰宅した。
いきなり、壁に二段組み三段組で、上下左右に隙間なくびっしりと展示された大画面群の大きな部屋。もう、呆気にとられてしまった。す、すごい、といえば確かにすごいのだが、ああして一望のもと百点以上の大作群が目に飛び込んでくると、あまりのことに口あんぐりなのだった。そこにいる多くの人びとは誰もいかにも楽しげに回遊し、互いに会話を楽しみ、記念撮影などにいそしんでいる。そのコントラストにも驚かされた。
落着いて一点一点に目を凝らしていくと、地塗りされた上にぐいぐいすいすい描かれて、はい終わり、というような簡単なものではないのがよく分かる。色の対比がじつに大胆不敵で、重ね描きされた所はまったく勘所をはずすことがない。画面が一定の力=緊張感を孕むまできちんと手が入れられている。手抜きの作品はひとつもない。さすが、と思わせられる。すごい集中力だ。
テレビで制作の様子がたびたび放映されてきたから、どんなところで、どんな風に描いているかは知っている。ベタに地塗りされたキャンバスをテーブル上に水平に置いて手が伸びる範囲の所を描いていく。手が届かないところはキャンバスをくるりと回転させてかまわず描いていく。時々、壁に立てかけて全体を確認し、必要な所には手を加えていく。その時天地をどうしているか、いつ天地を決めるのか、テレビでは見た記憶がない。会場外に流れていたビデオでは、絵の裏側にフェルトペンでタイトルとサインを入れていたから、その時には天地が決まっているのだろう。ともかく、大きな画面を水平にして描いていることが、作品群に特有の表情を帯びさせているように思える。描かれるイメージもタイトルも私の容量をはるかに超えている。素直に草間の世界に従うしかない。