井上有一(1916〜1985)は、かつて、文字でなくてもかまわない、という“書”の取り組みさえした人である。筆順を守る必要はない、とも公言し、たとえば「塔」という文字や「貧」という字を下から積み上げるようにして書いた人である。紙からはみ出した文字を紙の下に敷いていた新聞紙と一緒にして発表したり、それもやめて、紙から字がはみ出したってちっともかまわない、と言った人でもある。書くのは、紙でなくてもよいし、墨でなくてもよい、とベニヤ板、画用紙、新聞紙、ふすまなどにも書いたし、エナメルを使ったり、カーボンとボンドとを混ぜて使ったり、摩った墨をわざわざ凍らせて使ったり、特大の筆はもちろん、コンテ、鉛筆、雑巾、釘なども使った人である。必要なことは何だってやった。やっていけないことなどなかった。そうしたことは知っていたが、「必死三昧」の左側の黒。不思議なことをするなあ、と思ったのだ。
で、「必死三昧 五十三才 井上有一書」(1969年作、61.0×72.8cm)の現物の前で観察し、考えた。それは額装されて、さらに壁に穿たれて板ガラスで遮られた特別なスペースに入れられていた。
「必」。この字の筆順は小学校で厳しくたたきこまれた。この書ではその“正しい”筆順では書かれていないようにみえる。「心」とかいて「ノ」と払う、“間違った”筆順の代表ではないか。その「心」と「ノ」とは僅かに重なって、妙なバランスになっている。「心」の四画目の点は、筆先でいかにもそっと置かれた感じだ。「ノ」の“払い”は技巧を見せず、いかにもボソッとなされている。
「死」。「必」の「ノ」の下端の一部とくっつくようにして、そこから右側に向けて一画目を太く書き始めており“止め”の一部が紙からはみ出している。カーボンとボンドとを混ぜて作られた“カーボン墨”だから筆の穂の単位が線でみえて、石川九楊さんの言う“トン、スー、トン”の様子が実直なくらい露わになっている。続く二画目、三画目…、いかにも実直である。五画目の終わりがヘンに短くて、この人らしいバランス感だと言えよう。確か、「花」の連作などにも同じような“短さ”が見られた。一画目と五画目が紙の右側にはみ出して切れているが、いずれも“トン”の様子は十分に伝わってくる。
「三」。特に二画目が点を打つような感じで、紙の下の縁との間合いのようなものを意識して“抑え気味”になっているような印象である。三画目は下方が紙からはみ出しているが、“止め”は右側にはみ出していない。縁との間にしっかり紙の地の色で隙間がある。
「昧」。ヘンの「日」が大きく、一画一画実直に書かれている。「日」は一画目、二画目が短いのか、三画目が下過ぎたのか、その分四画目が太く長くて下から“支える”ように書かれている。どうやらこれはこの人の字の特徴のひとつのようだ。ツクリの「未」は、隣になる「必」や「死」の一画目とのあいだ狭いところに書かれたせいか、力を“抑え気味”にしたように感じられる。「昧」のヘンとツクリの下は水平に揃っていて、それも不思議なバランス感のあらわれとなっている。
「昧」。「昧」の下方に二行に分けて、「五十三才」「井上有一書」と書かれているが、これらも“ちょっと見”では、何という字が書かれているか、判然としない。各行の一番下の文字、「才」と「書」とは、紙の下方の縁からはみ出ている。
これらの文字群が、パッと目に飛び込んできた時、あ、「外」の字がありそうだ、いや、「外」じゃないかも、だって縦の線がおかしい、とか感じさせられるが、とてもじゃないけど、最初から「必死三昧」と読むことはできない。チラシや新聞の展評や会場のラベルなどの情報を経て、やっと、なるほど「必死三昧」と読めるわい、という順序をとるのである。それは、ひとつひとつの文字のバランスが独特なだけでなく、文字相互の大小の関係や“部品”同士のくっつきかたが、通常の文字列の見え方をさまたげているからである。
一見した時、何が描かれているか簡単には分からないように宙づり状態を仕組むのは、現代の絵画ではすでに常套手段である。井上有一がそれと同じことを意図してやっているかは分からない。そのことは“宙づり”にしよう。
そこで、左側の黒の広がりのことだ。これがあるのとないのとでは、見え方が全く異なる。黒が置かれることで、文字群と黒のあいだの紙の色が白っぽく際立つだけでなく、文字と文字との隙間からみえるいくつもの不定形の白っぽさが際立ってくる。それは同時に文字がシルエットとして際立ってくるということだ。そんな出来事を呼び起こす絶妙な黒だと言える。
その黒さの質は文字群とは明らかに異なっている。筆跡の表情が異なっているのだ。左側の黒には筆触というか筆の穂の毛の線がない。一部にかすかな濃
ともかく、この黒さは明らかに意図してこの紙の左側におかれたことは明らかだ。それは、井上有一が紙の上全体を「絵」のように見ている、ということではないだろうか。つまり、この人は、一画、一画、…、と書いていく文字のことと同時に、文字以外のところ、つまり紙の地のところの見え方を鋭利に感じ取っていて、文字と同じに大事にしていたのだ。それは、一切の既存の価値観を断ち切った一見激しい身振りとは対極の、たいへんな冷静さの所在を明らかにしている。
つづく