Gianni Brengo Gardin の写真集『Giorgio Morandi’s Studio』(2008年)を見ることができた。このモノクロームの写真集は、全編モランディのアトリエの写真で構成され、臨場感たっぷり、である。
これを見て、分かったことがいくつかある。
まず、窓はひとつ。先の文でひょっとするとふたつかもしれない、と書いた判然としなかった窓らしきところは、となりの部屋(居間?)からアトリエへのドアのある場所だった。モランディ美術館に移されたあとのアトリエを撮影したらしき別の資料で、えっ? ここも窓? というところがあったので、もしかしたら、と考えていたが、フォンダッツア通りのアトリエでは、ドアだったのだ。
ストーブとH型イーゼルとの間の壁にあるドアは、トイレへのものらしい。移動されたあとのアトリエの写真の資料では、この場所にガラスがはめこまれていて、観客はここのガラス越しに内部を見るようになっているらしい。だから、思わず、アトリエへの出入り口はこのドアのような気がしてしまったのだった。
で、懸案のモチーフ台だが、台形のもの、楕円形のもの、そして長方形らしきもの、これら三つ。前者ふたつは床から上面まで高い。立って描くためのモチーフ台だろう。
先に、長方形ではないか、とメモした低い方のモチーフ台は既存のテーブルにパネルを乗せたもの。そのパネルの形状が、な、なんと、長方形ではなかった。ほぼ長方形ではあるが、向かって右側の辺の半ばあたりから手前に角を少し切り取ってあった。
また、さらに驚くべきことには、すでに確認済みの台形のモチーフ台はその上面が水平にではなく、わずかに手前に傾くように置かれていたのである。これには驚いた。
この台形のモチーフ台の足の間からは、向こう側の壁に立てかけられているパネルが見えている。そのパネルが平行四辺形だ、ということは先に書いた。このパネルもまた、モチーフ台として使われていたことが確認できた。モチーフの位置を示す印の線が多数引かれた平行四辺形の紙の写真図版がこの写真集に載っていたのである。この紙は、明らかに、今述べた平行四辺形のパネルの上面に敷かれたものだ。おそらくは、台形のモチーフ台のパネルと同様、既存の“足”に固定できるようにしてあって、ある時期には実際に使われていたものであろう。
何故モランディはこういう不思議なことをしていたのだろうか?
このことはモランディを考える上でとても重要だと思われる。
とはいえ、直ちに答えが出るような問題でもなさそうだ。
あわてず、今後、仮説を組み立てて見たい。
そんなわけで、途中経過の報告。
2016年5月31日 東京にて