映像を随分見落としていたので、それがずっと気になっていた。ついに今日、出品されていた全ての映像を、見るだけではあるがともかくはひととおり見ることができた。竹橋に足を運ぶこと数回。達成感というものが確かにある。この達成感を味わわせてくれるための配慮として、会場の椅子の配置は極力制限してくれていたのだろう(もちろん皮肉)。
最後に見たのは、ジーン・デュピュイ『スープとタルト』(1974—75年)。55分45秒のモノクロヴィデオ作品だ。小さなモニタが合板の“テーブル”の上に斜めに置かれていて、そこにその映像が映し出されている。液晶らしきそのモニタではどの場所から見ても画像が殆んど“ソラリゼーション”と化してしまって、とてもじゃないが見てられない。普通の画像として鑑賞するためには、モニタの前に立って、身を乗り出すようにして“ちゃんと見える位置”を探し出さねばならず、その位置はほぼ一点に限定される。鑑賞者はその一点に自らの視点をキープしつつ55分45秒間モニタに集中しなければならない。鑑賞に当たって観客に過酷な状況を強いる、ということでは、今回の展覧会中でも出色の設営である。何度も訪れてそのことはもう分かっていたので、ついこのヴィデオを最後にしてしまったのである。で、あるからして、今日は気合いを入れて臨んだのだった。
デュピュイの『スープとタルト』は、こんな具合(ネタバレさせちゃう)。
ニューヨークの有名なライヴ・スペース、「キッチン」らしきところで(自慢じゃないが私はニューヨークに行ったことがない)、みんなが床に直に座って集まっている。正面のスペースが空けてあって、主にそこを使っていろんな人が次々に登場し、“出し物”=パフォーマンスを披露していく。主に、というのは観客席から“出し物”に挑む人もいるからだが、ともかく、様々な“出し物”、その記録映像の趣であった。その中には、デュピュイの二種類の“一発芸”と映像とナレーションの“出し物”(りんごのタルトが完成するまでのフィルムを逆回しにして映写するので、完成したタルトが“崩壊”してりんごに戻っていく映像)も含まれていたが、思わず笑ってしまうノリのものもあった。
先に述べた鑑賞環境の過酷さはさておき、なぜ、このヴィデオ作品『スープとタルト』がこの「ゴードン・マッタ=クラーク展」に出品されているのか?
それはね、今日見て分かったんだけど、
マッタ=クラークが“出し物”を引っさげて登場するから。
当時のニューヨークの雰囲気もよく伝わってくるし、よくぞ、これを紹介してくれた、と思う。イキなはからいである。
つづく→