作品を一見すると、グロテスクで情念が勝っているように見えるが、じつは真っ正直で、優しさに満ち満ちていて、気持ち悪さが全くない。とはいえ、悲惨さや無惨さからも目をそらしていない。稀有のことだ。これは、実物を見なければ分からない。
どの作品も、丹念で短い筆触が重ねられて、色彩をデリケートにコントロールしている。一見、茶系色が主体の明度対比に依ってだけの色彩のようだが、じつは色感の良いこと、良すぎることがどの作品からも伝わってくる。バルールがきちんと位置付けられているからだ。そのことは、木版作品やデッサン、水墨でいっそう露わだし、油絵での赤や青、緑などが、“さし色”とかアクセントとかの役割に甘んじず、画面全体を覚醒させながら響いている。なかなかできることではない。そして、一見べたべたとなぐり描きされているようだが、筆触の重なりが作り上げるマチエールが実に繊細である。とはいえ、マチエールのための筆触、というようなものではない。
もちろんご当人は、おいらは描きたいもの、描きたいイメージを描いているだけだもんね、とか言うに決まっている。へっ、バルール? バルールなんてくそくらえだ、と思っているはずだ。そこもまた面白い。教養が身に付いている。
「一枚漫画」、普通にいう一コマ漫画が井上洋介の出発だった。それだけに、イメージは自在だ。が、決して突飛さや異様さを目指しているのではない。まして、エログロナンセンスとは括れない。それは表層的すぎる評価だ。絵は記号だけで出来上がるものではない。
確かに、「井上スタイル」というか「キャラクター化」というか、独自の様式が確立されていて、「世界」が成立している。これだけでもなかなか出来ることではない。しかし、彼はそこに安住していない。
近年になっても、キュビズム風のやや構成的な片ぼかしを試みたり、細い線描きに賦彩する手法に挑むなどしていたのが見て取れる。つまり、絶えず“冒険”を恐れていなかった。そして、そうした“冒険”作品にあっても、誠実にある水準、完成度を示しており、確かすぎる程の力量を示している。
文句なく素晴らしい。
じつは私、いままで井上洋介のよい観客ではなかった。展覧会には一度も足を運んだことがなかったのである。それが悔やまれる。もちろん、絵本やイラストなど、印刷物での井上洋介は知っていた。70年代初頭に学藝書林から出た作品集を本屋で見入ったことはよく覚えている。超貧乏でとても買えなかったのだ。
時を経て、私の子供たちがまだ小さかった頃、井上洋介の絵本も何冊か買い求めて読み聞かせた。それらは今も家のどこかにあるだろう。にもかかわらず、印刷物にとどまっていた。パルコの大きな個展にさえ行っていなかったのだ。
でも、今回、幸いにもこうして見ることができた。ありがたいことである。
この展覧会の副題には「第2回トムズボックス社運をかける企画」とあった。トムズボックスの土井章史さんには心からの感謝と敬意を表したい。素晴らしい展覧会をありがとうございました。
この展覧会は残念ながら3月12日まで。ここに掲載される頃には終わっている。でも、井上洋介の展覧会は今後様々に続くようである。以下メモ。
・『思想としてのオブジェ』展4月8日〜4月18日、スパンアートギャラリー
・『井上洋介同窓会』4月24日〜5月2日、アートスペース繭、
・『井上洋介展』8月24日〜11月5日、ちひろ美術館・東京
2017年3月11日、東京にて