これに比べれば、たとえばサイのおならの音などは、確かに藤原氏の虚を衝く発想を伝えてくるし、カメラやマイクの性能の良さを示すものだし、じっとオナラを待ち続ける持久力にも関心するし、サイのオナラの「音」など、生涯、まず聴かないだろうし、ましてサイのオナラの「音」にさわることなど金輪際ないだろうから、すごーい、といえばすごいのだが、なんだか騙されている気もしてくる。“一発芸”みたいなもので、何度も繰り返し聴きたい、見たい、というものではないかもしれない。それは昆虫の交尾の「音」なども同じように感じる。が、サイがオナラをしながらマイクの後ろから前へとマイクの横を歩いていくというような音や映像だったら、その「音」の威力は絶大だっただろう。
機材の重さや数などの問題から、マイクを一箇所に固定せざるを得ない事情があって、微細な音、奇妙な音に向かわざるを得ないところもあったのかもしれない。その結果、世界にはさらに微細な「音」がいっぱいで、人間には聴き得ない、触り得ない「音」が無数にあるに違いない、ということに思いが至るが、藤原氏はそうしたことを、ユーモアのオブラートでくるませている。
また、ヘッドホンやイアホンで再現された「音」を聴くというのは、人々をひとりひとりに分断することでもあるわけで、“受け手”を消費者としての立場に甘んじさせてそれを固定化する側面もあるように思う。聴くこと、さわることを一層能動化する「音響標定」のような仕組みづくりが必要だったのかもしれない。
最後の壁に、2018年作のレリーフの「リキアーミ」が4点壁に展示されていた。思いがけない大きさだった。
会場を巡りながら、拙冊子で田中孝道氏が紹介してくださった若き日の藤原氏から田中氏への書簡の一節が繰り返し頭をよぎった。手紙の日付は1971年4月8日。
「(略)。僕の仕事に意味があるとすれば、我々にキャッチ出来得ないものに向かって、音を出すべく行動し(労働・行為)、出された音を一つのサインとして、両極に向かって、逆流する二つの流れ(White motion)に触れるサインとしてあると思います。この仕事を「ECHO LOCATION」(音響標定)と名づけます。(略)」
「音」に関心のある人には必見の展覧会。東京でもやればいいのに。東京都現代美術館とかが、、、。頑張ってほしい。
(2024年10月24日、東京にて)
「藤原和通―そこにある音」
会期:2024年9月21日(土)~11月10日(日)まで
開催時間:9時から17時
・9月28日(土)、10月26日(土)は19時まで夜間開館
・いずれも入館は閉館30分前まで
*8月9日、16日、23日、30日の金曜日は21:00まで開館
休館日:9月30日(月)、10月7日(月)、15日(火)、21日(月)、28日(月)、11月5日(火)
会場:岡山県立美術館 地下展示室
観覧料:一般:350円、65歳以上:170円、大学生:250円、高校生以下:無料
公式HP:
https://okayama-kenbi.info/okabi-20240921-fujiwara/
写真1:図録より、最初期の「リキアーミ」の写真、1977年、藤原和通撮影
写真2:図録より、45個セットの小さなリキアーミ、時期不詳
写真3:図録より、耳型スピーカー(左)と振動スティック(右)、いずれも1989年
写真4:図録より、オトキノコ
写真5:図録より、シロサイのおなら、2002年