だからと言って、悔し紛れに言うのではないが、あのように、資料として書籍や雑誌や冊子がケースの中にうやうやしく展示されていることが多々ある。が、見たいのは表紙だけでなくて中身も、である。現物の展示と共にせめて白黒コピーのホッチキス留めとか冊子状に整えたものを置いて、観客が手に取って見ることができるようにするような配慮があってもいいのではないか?
かつて一度だけ、川崎の岡本太郎美術館で土方巽の展示があったとき、小林嵯峨氏のノートが現物の展示と共に、そのようにはからわれていて感動したことがあった。
あ、それからもう一度。近年、「なるせ美術座」での黒田康夫氏の写真展の時、松澤宥氏のメモ帳をコピーで再現して手に取って見ることができる展示をしていた。素晴らしい。
普通にこうした配慮をしてほしい(私が「スペース23℃」で展示した藤原和通展の時にはそうしたぞ)。
それにしても、こうした資料群がよく保管され続けていて、この展覧会企画者はそれらをよく探し出してきたものである。素晴らしい。ああ、図録がほしい! 遅く行った私が悪い。
話が逸れちゃったけど、一時は国際交流など盛り上がったものの、木版による版画運動は1950年代半ば過ぎにはほぼ収束し、あとは作家個人の展開に委ねられたようである。鈴木賢二、小口一郎、上野誠、景山弘道、村上暁人、由井正次、小林喜巳子、滝平二郎などの作品が展示されていた。知っていた人も初めて知った人もいた。
知らなかった人のうち一人について。戦後すぐの時期に「リアリズム論争」と言うのがあったが、その口火を切った“モダニズム完全否定論者”の林文雄、その夫人が小林喜巳子という人だったことを初めて知った。この人の作品は面白いと、思った。林氏の文は硬直していて、ついていけなかったのだが、、、。
最後の部屋に「教育版画運動」が身を結んで全国各地で展開した小中学校での木版画教育、とりわけ共同制作の成果品や資料の展示があったが、その前で色々考えさせられた。テレビやゲーム、マンガ、アニメなどからの影響などについて。「生活版画」からの距離について。
それにしても、今の、あの「朝ドラ」のタイトルバックには驚いた。あれも「版画」といえば「版画」と言えるかもしれない(明らかに木版画ではないが)。文字情報なしであのタイトルバックの映像を見たい。
ついでに書いてしまうが、実につまらないドラマになっている。視聴者を舐めまくっている。その舐めた作りや仕草が面白いわけでもないから、始末におえない。あのタイトルバックがかわいそうだ、と思うのは私だけだろうか?
(2022年7月2日、東京にて)
画像
・上段:本展チラシ
・下段:東京都府中市立府中第八小学校6年生20名(指導:前島茂雄)《新宿西口駅前》1970年、木版、900×1800mm、府中市立府中第八小学校蔵
「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動
工場で、田んぼで、教室でみんな、かつては版画家だった」
●会期:2022年4月23日(土)~7月3日(日)
●会場:町田市立国際版画美術館
※すでにこの展示は終了しております。
公式HP:
http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2022-512