そんなわけで「実験映画を見る会」なのだが、私が会場に到着して椅子席に座ってから、若い人たちが次々にやってきて、準備された椅子は足りなくなり、立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。代表の太田曜氏もあまりの盛況に戸惑っていたように見えた。
上映されたのはいずれもフィルム映画。
オスカー・フィッシンガー『ラジオダイナミクス』(1942年)、ブルース・コナー『ア・ムービー』(1958年)、ジェームス・ホイットニー『ラピス』(1963年〜66年)、ブルース・ベイリー『オールマイライフ』(1968年)、同『カストロ・ストリート』(1966年)、オーエン・ランド s/k/a ジョージ・ランド『ゴミ、エッジレター、スプロケットホールなどが現れる映画』(1965〜66年)、トニー・コンラッド『フリッカー』(1966年)、相原信洋『やまかがし』(1972年)、鈴木志郎康『日没の印象』(1974年)、松本俊夫『アートマン』(1975年)、奥山順一『LE CINEMA 映画』(1975年)、谷川俊太郎『休憩』(1977年)、伊藤高志『SPACY』(1980年)。
今、改めてプログラムを見ると、よく配慮された構成で、無料なのに、実にありがたいことであった。入場時に解説冊子がこれも無料で(!)配布され、それぞれの作品の上映前には太田曜氏と西村智弘氏の解説があって、いたれりつくせりであった。
いずれも興味深い作品だったが、とりわけトニー・コンラッド『フリッカー』は私にとっては伝説の作品。あのTVアニメ“ポケモン事件”以来、フリッカー(画面を激しく点滅させること)には注意深くなっているらしく会場で繰り返し注意が促されていたのが印象的だったが、作品は実に面白いものだった。タイトルバックと冒頭の注意書きを除けば、「すぬけ」(画面が真っ白なだけのコマ)と「くろみ」(画面が真っ黒なだけのコマ)とだけによって構成された映画である。映画は一秒間に24コマ。その一コマ一コマに「すぬけ」と「くろみ」とのいずれかが与えられただけの30分(タイトルバックと冒頭の注意書きのカットを含む)。スクリーンの点滅を見続けていると、次第に格子模様のようなものが見えてきて、青色や緑色のごく小さな複数の粒のようなものも見えてくる。激しすぎる点滅効果がそうさせるのだろうか。全く想像もしていなかった見え方に驚いた。一体どうして?
もともと映画は、目の仕組みの一つであるところの「残像」を利用することによって、映写される像の動きが滑らかに見えるように工夫されたメディアである。コンラッドの『フリッカー』の場合、一秒間に24のフレーム(=コマ)の中に配された「すぬけ」と「くろみ」との激しい入れ替わりで生じる「点滅」という“現実の動き”と、それによって目の中で生じる“残像”の「点滅」との間に、もう一つ、モアレというか干渉作用のようなものが生じ、それが格子模様や色の粒として見えている、ということだろうか。
残像といえば、谷川俊太郎『休憩』は3分間のとんちの効いた実におしゃれな作品だったが、白抜き文字の背景の鮮やかな赤色の拡がりは、もともとは黒色で、それが経年劣化して生じた色だという説明が西村智弘氏からあった。ならば、最終盤に登場した白と黒とのブチの猫の黒の部分が赤くなかったのはなぜか? そこが実に不思議なのだが、それはそれとして、その赤色の拡がりによって、映画終了後明るくなった会場の壁にはしばらく緑色の残像が生じていた。
そういうわけで、実に面白い「会」であった。この「会」は今後も続けられるらしい。アナログメディア研究会、すごいぞ!
あ、点滅による残像、といえば、今、急に思い出した。
ジェームズ・タレルの『ガスワークス』。長谷川祐子氏がその残像についてもどこかに書いていた。
それから、藤原和通氏の「点滅キノコ」。右の耳と左の耳とに交互に音を届け、その“点滅”の速さを操ることによって、音像を3Dにする装置。
とはいえ、タレルのこと、『ガスワークス』のこと、藤原氏のこと、「点滅キノコ」のことについては、今回も触れている余裕がない。ごめんなさい。
(2022年10月17日、東京にて)
「実験映画を観る会 vol.1」
日時:2022年10月16日日曜日(終了しました。)
講師:太田 曜、西村 智弘
会場:小金井市中町天神前集会所
〒184-0012 東京都小金井市中町 1 丁目 7-7
JR中央線「武蔵小金井駅」南口から徒歩約14分
http://shink-tank.cocolog-nifty.com/perforation/2022/10/post-b3da45.html