続く正面の壁には、藤牧版画作品『赤陽』のトレースが8種類並ぶ。
ここで少し説明が必要だろう。
私たちは普通、「かんらん舎」の活動は1980年の「ボイス展」から始まったと思い込んでいる。が、実は「かんらん舎」は1977年から始まっていて、「早逝の画家達」というシリーズに取り組んでいた時期があった。その第4弾として24歳で忽然と消え去った藤牧義夫も取り上げた。苦労して1978年に大谷さんが開催した「藤牧義夫遺作版画展」での藤牧版画は、一括して東京国立近代美術館の購入となり、めでたしめでたし、と終わるはずだった。
ところがその後、大谷さんは、おやっ? おかしいぞ、と思ったのである。やがて1999年になって、つまり藤牧の展覧会から20年以上を経て、大谷さんは藤牧版画の総点検を始めた。あらん限りの資料を集め、整理し、疑念ある作品をトレースする、まさに「手探り」だっただろう。トレースを重ねれば異同は一目瞭然となる。
その「手探り」の痕跡を生々しく示す『赤陽』Aと『赤陽』Bのトレースの現物が並んでいるのが正面の壁である。Aは真作、Bは偽作と結論づけられる。見応えがある。とりわけ“紫のための版”のトレースを実に興味深く見た。
トレースという作業はいかにも簡単そうだが、実はそうではない。色面と色面との境界のどこに線を引くかを確定しておかねばならない。つまりトレースする線の右側が境界なのか、左側が境界なのか、あるいは線の中央が境界なのか、という問題があるのだ。線も細長い色面なのである。とりわけ、版が複数ある場合には、さらに読み取りが複雑になる。大谷さんのトレースは大変な集中力を持ってなされている。
右側壁の『つき』では、調査に手描きではなくコンピュータが用いられている。点検作業の手法が進化しているのだ。おまけに複数の版と刷りとが分析されている。すごい。パソコン音痴の私にはとても真似ができない。エクセルでの「表」も同様。
これらの作業を経て何が浮かび上がってくるか? それは、小野忠重という著名な版画家・版画史家への疑念であった。というのも、大谷さんによる「藤牧義夫遺作版画展」は小野氏から藤牧作品を一括して買い取ることで開催できたからだ。その辺りのことは会場で希望者に配布されていた同人誌『一寸』第73号の別刷りに詳しい。
さて、もう一つ。
トニー・クラッグの「作品系統図」の手書きの“原図”と印刷物になった“成果品”の「作品系統図」、そして「かんらん舎」開催した「トニー・クラッグ展」の資料が展示されている。この系統図も見応えがあるが、個々の作品との照合ができないので、やや迫力を欠く。それにしても、一人の作家の作品群をここまで徹底的に思索し抜くことは、並外れた集中力、持続力のたまものである。並みの力量ではない。ため息がでる。
展示会場の中央のテーブルには展示に関係する山のような資料群が置かれている。
展示を企画した角田さんの説明もすごい。大谷さんがやってきたことはなんでも知っていて、時には大谷さんが憑依したみたいにもなって、なるほど、確かに大谷さんからこうした貴重な資料群を譲り受けるほどの人だなあ、と思ったのだった。
角田さんから見せてもらった『三岳全集』のコピーには腰が抜けた。藤牧は15歳でこうしたものを纏めることができる人だったのだ。コピーを綴じて古布の装丁を施した大谷さんにもまた感心した。
帰り際に角田さんが、ほら、トレースもできますよ、とエントランスの窓を示した。大谷さんがやったように窓に作品コピーとトレペが貼ってあってトレース作業を追体験できるようになっていた(やがてライトボックスを使うようになったらしい)。
窓の横の壁には、トニー・クラッグ作の大谷ご夫妻の像の作品写真があった。
そんなわけで、最初から最後まで堪能ということをさせてもらった。大谷さんすごい。角田さんすごい。みなさんもぜひご覧になられると良い。
8月8日まで、金土日のみの13:00〜19:00、Sprout Curation
(新宿区西五軒町5−1、3F)
かんらん舎・大谷芳久の手探り
藤牧義夫《赤陽》の原寸トレースとトニー・クラッグの作品系統樹を中心に
企画:角田俊也
7月23日(金)—8月8日(日)
金・土・日のみ 13:00–19:00(月–木 休廊)
公式:
https://sprout-curation.com/exhibitions/3636